●NEXT (No.37)


僕は、ここにいる。

「それでは、次の捜索人です。宮田 健吾くんです。現在、23歳になっているはずです。健吾君は、昭和60年5月10日、自宅から近所の公園に向かう途中行方不明になりました。当時、健吾君は5歳。もう、18年と言う長い年月が経っていますが健吾君の安否は不明のままです。今日は、ご両親がスタジオにいらしています」
アナウンサーに促され、宮田 信夫と妻の久恵は緊張した面持ちでスタジオ中央に足を進めた。2人の後ろには、健吾君が5歳の頃の写真パネルが3枚飾られていて、その一つ写真はブランコに乗って無邪気な笑いを浮かべている。アナウンサーは、その写真を見つめ沈痛な面持ちで両親に話しかけた。
「この写真、5月5日の日付がありますね。この無邪気に笑っている写真が撮られてから5日後、健吾君は突然、姿を消してしまったんですね。可愛いお子さんじゃないですか?そのお子さんが突如いなくなられて、さぞかしご両親は心を痛めたんじゃないですか?」
アナウンサーの当たり前の問いかけに、信夫は涙をこらえて答え始めた。
「今でも、あの日の事は忘れませんです。きっと健吾は「ただいま」って帰ってくるって信じてそれで、今日まで来てしまいました。でも、健吾はきっとどこかで生きていて元気に暮らしているんだと思います。どうか、番組を見ている皆さん、なんでもいいですから健吾の情報を少しでも知っている方がいらっしゃいましたら連絡を下さい。おねがいします」信夫は肩を震わせてそう言った。
それを見た妻の久恵もこらえきれずに涙を流し「どうか、なんでも結構です.健吾の情報をお願いします」震える声で訴えた.
「18年間・・・、宮田 信夫さん、久恵さんはこの長い18年という歳月、時間が止まってしまっています.一緒に生活し、一緒に笑い、時には怒ったり注意しながら、そうして一緒の時間を重ねていくはずだったかけがえのない我が子。それが何の予兆も無く突然、姿を消してしまいました.重ねて行くはずの楽しい生活をその時、突然スイッチを切るかのように消失してしまい、今も宮田さん夫妻はそのかけがえのないものを失ったままです。それでは18年前の5月10日.その時の様子を振り帰って見たいを思います」
長い間合いを絶妙に使い、演技派とも言われる名物アナウンサーは神妙にそう言うと、カメラはもう一度、5歳当時の健吾君の写真をアップで映した.
スタジオにいるレポーターが、健吾君について失踪時の状況、身体的な特徴、いなくなった時の服装、いなくなったと思われる場所の詳細な地図などをボードを使って事細かに説明をしている.テレビ画面の下側には、『捜索人の情報に関する事は、この電話番号までお願いします』と表示されていてスタジオ直通の電話番号がずっと画面下に表示されている.
スタジオの後方には、無数の電話が並んでいて1台1台、オペレーターがその電話の前に座っていたる。電話は、引っ切り無しに鳴っている様で受話器を取り上げるオペレーター女性の姿が何回も映りだされている。だが、そのほとんどがイタズラ電話らしく、取り上げた受話器をすぐに下ろす仕種が繰り返されていた。
「えー、番組からのお願いです。ここにいる方々は、それこそ藁にもすがる思いで皆様の情報を待っているんです。どうか心ない、いたずら電話はやめてください。本当の貴重な情報が受け取れない可能性もありますので、どうかよろしくお願いします」
アナウンサーは、怒りに満ちた表情を浮かべ強い調子で訴えた。
それでも鳴り続ける電話。アナウンサーが、もう一度健吾君の両親にその時の状況や、その時の心情を聞き返そうとしたその時、スタジオ内がざわつき始めた。
ディレクターと思われる男がアナウンサーの所に駆け寄ったのだ。
そして何やら耳もとで話をしている。カメラはその様子を捉えていた。
アナウンサーの顔色が変わった。それは、演技派の域を越えて素とも取れるものだった。
「えっ?本当なの?」小さな声での呟きだったがその声ははっきりと胸ポケットのマイクは拾っていた。
「ちょっと待ってくださいね、お父さん、お母さん。今ですね、健吾君本人と名乗る人から電話がかかってきています」
「えっ?それは本当ですか・・・?健吾からなんですか?」父親は驚きの表情を見せた.
傍らにいた妻は、驚きのあまり持っていたハンカチを口に当てた.
「イタズラ電話かとも思ったのですが、証拠もありますと言っています。ちょっとお尋ねしたいのですが息子さんにはのアレルギーはありましたか?」
アナウンサーの問いかけに父親は大きく頷いた。
「ええ、あります。息子が5才になった時に、アレルギーのパッチテストをやりました。
その時に、強度のそば粉アレルギーがありますと診断されました。日本蕎麦を、いや、そば粉の入っているものを食べさせてはいけないと強く注意されました。下手をすると命にかかわるアレルギーなんだと・・・」
「そのアレルギーと言うのは、そんなに多くの人があるわけではないですよね?」
「ええ、1000人に1人位しかいないと聞かされました。電話の人はその事を知っているんですか?」
「ええ、本人だという証拠にその事を伝えてきています」
アナウンサーも、番組本番中に行方不明になっている本人からの電話がかかってきたかもしれないという事実に、その顔色には興奮と緊張が浮かんでいる.
「本当ですか?間違いない」父親も母親も驚きの表情を浮かべた。
「その事実は、それほど多くの人が知っている訳ではないですよね」
「知りません。家族だけしか知らなかったんじゃないでしょうか?なら本当に健吾から電話が掛かっているんですね?」
興奮する父親に対してアナウンサーは頷くと、「その可能性が高いですね。今、その電話の声をスタジオに流します。そのままお父さんは話して頂けますか?」
アナウンサーはそう言うと、ディレクターに目配せをした。
瞬間、スタジオ全体に電話からの声が響いた。
「お父さんですか?健吾です・・・」スタジオ内に、テレビを通してもその声が響き渡った。しっかりとした青年の声だった。
「健吾か?本当に健吾なんだな?今何処にいる?元気だったのか?」
矢継ぎ早に電話の主に質問をぶつける。空白の時間を埋める様に父親は電話の主に向かって声をかけつづけた。
母親は、口にハンカチを当てながらその様子を見つめている。
彼女も興奮しているのだろう。微かに体を震わせている。
「心配をかけてすいませんでした。もっと早くに連絡にするべきだったのに・・・」
「お前が無事だったらそれでいい。健吾のな、部屋はそのままにしてあるんだぞ。あの時のおもちゃも、本も枕だってそのままだ。いつお前が帰ってきてもいいようにな」
もう23歳になっている青年に対して、そんな事を伝えてみたところで今となっては必要なものは無いだろう。
だが、それこそが親心と言うものだった。あの日から両親は何度、枕を濡らした事だろう・・・。
「あの・・・父さん、すいません。母さんとも話したいのですが・・・」
興奮する父親とは対照的に、青年の声は冷静で礼儀正しいものだった。
「ああ、母さんも心配していたんだぞ。今代わるから、声をかけてやってくれ」
父親は、相変わらず口にハンカチを当てて微かに震えている母親に息子に言葉を掛けるよう促した.
「・・・健吾君。何処にいるの?元気だったのかい?・・・」
母親の声は震えている.十数年待ちわびた瞬間が今、訪れた。
スタジオ内には相変わらず緊張した空気が張り詰めている。
生番組中に、とてつもないビッグニュースと感動の瞬間が訪れたのだ.
「母さん・・・健吾です.わかりますか?僕、健吾ですよ・・・」
青年の声に、母親は小さく頷いては見るが声が出ない。
喜びのあまり声が出ないのだろう。
それでも青年の声はスタジオに響き続けた。
「母さん、返事をして下さい.健吾ですよ.わかるでしょう?」
「・・・ええ、・・・わかりますよ・・・いま、何処にいるの?・・・」
母親は,小さな声を絞り出した.
人間はこう言う瞬間には、声さえ出なくなってしまうのだろうか?湧き上がる感情が言葉さえも浮かばなくさせてしまうのだろう。久恵はやっととも思える感じで健吾に居場所を尋ねた。
「お母さんにはわかるでしょう?僕が何処にいるのか。僕はそばにいますよ。いつも母さんのそばに・・・この言葉の意味はわかりますよね?」
その瞬間、スタジオ内が凍りつく様に静まり返った。
「僕は健吾君じゃないですよ。母さんはそんなことわかっていますよね?」
カメラは慌てふためくスタッフとアナウンサーを映していた。
「まずい。イタズラ電話だったか・・・」そんな表情を浮かべている。
「母さん、本当の事を言ってくださいよ。でないと僕は浮かばれません」
その言葉を聞いた瞬間、母親の久恵は狂ったように泣き叫び始めた。
「ごめんなさぁい。ゆるしてぇ。私をゆるしてぇ・・・ごめんなさああい。うあぁああ」
悲鳴のような久恵の声が響き渡ると同時に、久恵は耳を閉じたまま泣き喚きはじめた。
「どうした?久恵?一体どうしたんだ?」夫は妻のあまりの変わりようにうろたえている。
いや、うろたえているのは、夫だけではなかった番組スタッフの誰もがどうしていいのか、何が起こったのかわからないでいた。
アナウンサーは怒りの矛先を電話の青年にぶつけた。
「何を考えているんだ。君は!!こんなことしてどうなると思っているんだ!!」
いつもブラウン間で見せる怒りの表情よりもまだ激しくアナウンサーは電話の主に怒鳴りつけた。
「これで充分です」青年は冷静にそう言うと電話を切った。そして、スタジオ内に電話が切れたツーツー音だけが流れた。
「おい、君!!駄目だ。CMいってCM !!」アナウンサーは叫ぶ。
混乱の番組は、その瞬間コマーシャルに変わった。

神崎 登は受話器を置くとテレビ画面を見た。画面は大画面テレビのコマーシャルを美しい風景を使って伝えている。
登はテレビを消すと奥の部屋の仏壇に向かった。
仏壇には、痩せた60歳くらいの男の顔写真が飾られている。登の父、重雄だった。
先月、胃がんで他界した。
「おやじ、ごめんよ。怒ってるかな?俺のやった事。でも、残された俺がやらなくちゃいけない事だと思ったんだ」
そう言うと登は1本の線香に火をつけ焼香をあげた。
登の父が死んで、父の身の回りの品を整理した時に登は父の昔の日記を見つけた。
読んではいけないかな?とは思いながら父の思い出をなぞるために読み始めた。
しかし、それには父の苦悩と秘密が記されていた。
登の父、重雄は19年前、不倫をしていた。宮田 久恵という人妻と。
久恵のパート先での上司だった父は仕事やいろんなことで久恵の相談を聞いているうちにそう言う関係になっていったらしい。日記にはそう書いてあった。
お互いに忘れていた恋愛感情と淫靡で背徳的な快楽の誘惑に溺れて行ったのだ。
そして久恵は妊娠する。
子供は重雄と久恵の間に出来た子供である事は間違いないだろうと思われた。
久恵は結婚して9年経っても子供には恵まれなかったのだ。
それが重雄と関係を持つようになってすぐに妊娠してしまった。
普通なら、家庭の崩壊を招くような事態が宮田久恵夫婦には勝手が違った。
久恵の妊娠を誰よりも喜んだのは、久恵の本当の夫だった。
久恵の妊娠を知り、夫は以前よりも久恵に対して優しくなった。もともと夫は家庭的な男で子供に恵まれないことから二人の間がギクシャクしていただけだったのだ。
幸運なことに、登の父と久恵の夫の血液型は一緒だった。
久恵は子供を産む決心をした。宮田 信夫の間に出来た子供として・・・
2人は2人の間にできた結晶を、自らの幸せを考えたうえで利用する事にした。
大人の選択だった。
半年後、久恵は男の子を産んだ。子供は健吾と名づけられた。
子供が生まれたことで、久恵の愛はまた夫に戻って行く。
幸せな家庭が久恵の元に訪れていた。
重雄とは、もともとは遊びだったのだ。その恋愛は思わぬ副産物を生み、熱い気持はお互いのさやに戻って行った。2人とも大人だった。
それだけの事だった。
その後、久恵は幸せに暮らした。あの日が来るまでは・・・
5歳の時のアレルギーテストで健吾は重度のそばアレルギーと診断された。
「珍しいです。1000人に1人くらいしかならないのですが・・・家族にそばアレルギーの方は?」医者の何気ない一言に久恵は強く動揺した。
重雄はそばアレルギーだった。久恵はその事を知っていたのだ。
「ばれてしまう。何もかもばれてしまう。私の事も、子供の事も・・・もうおしまいだ」
2人が関係を絶って5年になろうとするとき、久恵は泣き叫ぶ声で重雄に電話を寄越した。
「なんでそんなアレルギーを持っていたのよ。もうおしまいよ」
ただ、それだけ言って電話は切れた。断末魔の叫び声の様だった。
しばらくして重雄は子供が行方不明になったとテレビのニュースで見た。
宮田 健吾くん。テレビでその名前が映された。
俺との間に出来た子だ。あの子が消えた?
テレビは警察や近所の人々の捜索をしている様子を映し出していた。
だが、重雄にはわかっていた。もう、何処を探しても健吾君はいないと・・・
「こんな事になるなんて・・・俺達の過ちはこんなむごい結果を招いてしまった」
父は、この事実を隠しとおし生きてきた。二人の過ちを、幼い命が消えなければいけなかった訳を。
父は、それをこの世を去るときまで続けていた。
「おやじ、もしこの事が発覚しても久恵さんには時効が成立しているだろう?でも、罰は消えても罪は消えないんだ。健吾君を殺したと言う事実はけっして消えないんだから。
俺にはわかるよ。健吾君が生きたかったという事が・・・、生まれてきた理由も死ぬ理由も大人の勝手のせいじゃないか?」
登はそっとまぶたを閉じた。終わった、これで何もかも・・・。
親父の残した日記を読んだ時から僕に残された使命だったのだ。
登は、そう考えていた。
翌日の新聞を開いた時、登はひとつの記事を目にした。
「18年前の息子の失踪 母親が殺害を自供 自宅床下から白骨死体を発見」
登は、その活字だけ見て記事は読まなかった。
そう、みんなこれで終わったんだ。
そして全てわかった。健吾君がいなくなった真実。
そして、18年前に母が浮気をして父と別れた事。
その事を何一つ責めなかった父。
僕は父に着いて行った。どうしてあの時は2人が別れるのかわからなかった。
いや、それはずっとわからないままだった。
母は知ってしまったのかもしれない。父の苦悩を、苦しみを、そしてそれは自分の苦しみでもあった。
みんな、秘密と苦悩を抱えていた。そうしながらも、生きている。
業の深い人生を。
きっかけが生まれ、そして犠牲も生まれていく。
そんな人達の中から生まれて
僕は今、ここにいる。

 

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