●NEXT (No.45)


「これで23件目、ですか」
 眼下の緩やかなくぼみを見下ろして、キリエは言った。特に感情もこめていない、確認だけの声音(こわね)で。
 その隣で、キリエより少しばかり背の高いリナは、鮮やかな緑に目を見張りながら応じた。こちらは、幾分弾んでいる。初めての外(そと)仕事が楽しいらしい。
「ここが最新ですね、今のところ。このところ連発だったけど、まだ続くと思いますか?」
「資料、読んでいますね。以前も似たような消失事件が相次いで、十四年前に止んでいます。そのため、捜査は打ち切られました。その結果がこれです。もしまた止んだとしても、気を抜かない方がいいと思います」
 やはり静かに、切り返す。
 キリエは数年前に多発した村落消失事件の数少ない被害者として認定されている。この事件で認定される被害者は少ないが、それも仕方ない。なにしろ、突然にひとつの集落がほぼ丸ごと消失するのだ。後に残るのは、本来の地形と鬱蒼と生い茂る緑のみ。
 被害者は、たまたま村を離れていたり外れに住んでいた者ばかりだった。つまり、本当の被害者は、すべて家屋ごと行方知れずになっているのだ。
 それらをすべて資料で知っているはずのリナは、うーん、と小さく腕組みをして首を傾(かし)げる。その動きに従って、ホルスターに差し込んだ気銃(きじゅう)が金属的な音を立てた。 
「そうですねえ・・・。あっ、センパイセンパイ、これで一時休止して、次は34件目で止まるんじゃないですか?」
「何故ですか?」
「だってほら、前回が12件目、今回が23件目。ね?」
 キリエが、風に長い髪をあそばれながら、右手を顎(あご)に当てて考えの体勢に入る。リナは、大いに慌てた。
「じょ、冗談ですよ、本気にしないでくださいよ!」
「いえ、ないとは言えません。この件に関して、有力な仮説を立てた者さえいないのですから。一考に値しますよ」
 珍しく笑顔を見せたキリエに、リナが顔を赤くする。
 ――ぜったい、絶対ゼッタイ、センパイは自分のことわかってない! こんな笑顔見せられたら、誰だってどこまでだってついていくのに!
 部署内で「仮面女」とあだ名をつけられて敬遠されているキリエを、リナは嫌いではない。むしろ、付き合ってみるとどこかすっとぼけたような性格が好きですらある。
 それだけに、周囲の評価を気にせずに行動し、その結果悪く言われるのが我慢できなかった。本人が気にしていなくとも、リナは気にする。
「・・・どうかしましたか?」
「え?」
「急に黙り込んでしまって。疲れたなら、戻りますか? 出張の許可は、あと三日はとってありますから」 
 国内の治安維持のために打ち立てられた防衛署は、大きく三つに分けられる。ひとつは人の起こした犯罪などに対する人倫署、もうひとつは漁業や林業、天災に関した天然署、そして二人の所属する未知署、通称よろず署あるいはガラクタ署。
 未知署は、人倫署や天然署に当てはまらないものや人外の動物などに対処する。れっきとした政府事業なのだが、一番民間事業と勘違いされやすいのもこの署だった。
「それは、清潔なシーツとかあったかい布団とか柔らかい枕とか、できるものならもぐりこんで眠りたいです。ここまで、野宿だったんだから。お風呂だって入りたいですよ。でも、センパイは一人でも今から村跡に降りるんですしょう?」
「そのつもりですが」
「だったら行きます」
 元気な笑顔を見せて、リナは足元に下ろしていた荷物を持ち上げた。


 もとは村があったはずの地面は、それまでの集落と同様に、もう何年も人が踏み入っていないような草地になっていた。それでも木が生えていないのが、妙といえば妙だ。しかし、あったはずの広場や畑は全く見られない。
「センパイ、いつもこんな感じなんですか?」
「はい。見事なものですよ。ほうき一本、手拭い一枚残らない。そして、一年もすれば木の種が芽吹き、人が植えるよりもずっと早く森になる。ひょっとすると、自然の回復機能かもしれませんね。もしそうであれば・・・」
 キリエの言葉はそこで途切れた。
 リナが訝しげにキリエのみつめる先を見ると、二十代後半くらいの背の高い男の人が立っていた。着ているものはあちこち乱れ、顔色もいいとはいえない。だが、倒れそうには見えなかった。
「あの・・・この村の人、ですか?」
 口を開かないキリエに代わって、リナが遠慮がちに訊く。この村の状態が発見されてから大分経ったが、その可能性がないとはいえない。
 何故か男は、キリエを凝視していた。
「あのー?」
「え? あ・・・・、えっと?」
 はじめてリナに気付いたように、男は視線を移した。声や仕草からも、初めの印象より若い感じがする。
「私たち、未知署の者です。この村の人だったら、話を聞きたいんですけど」
「いや俺、ただ通りかかっただけなんだけど。ここで一泊するつもりだったんだけどなー、あてが外れたか。あんたらは、その年で政府役人? 凄いなあ。ついでに、俺に宿があるとこ教えてくれない? うまい飯とふかふかの布団、夢に見るほどなんだけどさー」
「こことは無関係なんですか?」
「ああ」
 キリエとリナは、視線を見交わした。調べなければならない諸々(もろもろ)の数値は測っていないが、そろそろ日の陰る時刻だった。


「どこに行くつもりですか、アオイ」
 わずかに欠けた月が、高い位置から光を投げかける。家々の灯(ひ)は落とされ、灯(あか)りといえばそれと星だけだった。
 宿の外で、キリエは宿の壁に背をあずけ、腰に下げていた刀を杖のように手に持ち、男を待っていた。布団には一応、荷物とまくらで細工をしてきた。部屋を出るときも、リナを起こさないようにしたつもりだ。
 男は、薄闇の中でもそれとわかる苦笑を浮かべた。
「名前、覚えてたんだ」
「恩人の名ですから」
「・・・恩なんて、かけた覚えないけど?」
「それでも、私がここにいるのはあなたのおかげです。十四年前、私の村が消えたのもあなたのおかげだと私は思っていますけど」
 リナに向けるのと変わらない、表情に乏しい顔を向けて淡々と。
「あなたは何の釈明もせずに、私だけを助けて姿を消した。何故です?」
 あの日は、月のない夜だった。それでも、夜中に目を覚ますと何もないのがわかった。ただ、遊び疲れて手をつないだまま眠った友人の温もりだけがあった。
 それが村落消失の12番目だと知ったのは、後日のことだ。
 夢と思って再び眠りについたキリエが目覚めて見たのは、一面の緑。そのときには、友人は姿を消していた。
「なあ、俺は助けてなんかないんだ、誰も。お前が助かったのは偶然で、俺は・・・ひどいことしかしてないんだ」
「話を聞かせてください。そのために私は、この仕事にも就いて、何年も待ったんです」
「・・・そうだな。お前には、その権利がある」
 俯いて陰に表情を隠して、アオイは言った。そして、言葉を選ぶように少しの間沈黙する。空間が、虫や夜行性の動物たちの声に満たされる。
「俺が眠ると、村が消えるんだ。村や人を消したのは、俺なんだよ。どうなってるのかは、知らない」
 口を開きかけて、キリエは沈黙を選んだ。そのことに気付いて、アオイが言葉をつなぐ。
「ああ、全部が全部ってわけじゃない。いつ起きるのか、判らないんだ。四日くらい連続で続いたかと思うと、一月くらい、ぜんぜん起こらなくて。普通になったんだ、と思ってもまた、起きる」
 辛そうに、言葉を切った。それでも、言葉の調子だけは明るい。それが、キリエには余計に辛かった。
「しばらくは、自覚がなかった。記憶のない赤ん坊のころなんて当然だし、物心がつきだしても、何か変だなあ、くらいにしか思ってなくて。俺を見つけて育てようとしてくれた親切な人たちばっか、巻き込んでたんだよなあ。まあ、中には人買いなんかもいたみたいだけど、だったらいいってもんでもないし。・・・気付いたのは、お前の村を消したとき。突然、理解できた。自分が何をやったのか」
 春のぬるい風が、駆け抜けていく。二人の服や髪を掻き回していった。
「それから、十年くらいかな。人のこない、どっか奥の方で暮らしてた。そのまま一生そこにいようと、思ったんだ。でも、駄目だった。どうしても、一人に耐えられなくなって。なるべく寝ないように、人のいるところでは寝ないようにして、いろんなとこを歩き回った。国都にも行った。縁日にも」
 キリエを見た。笑い顔が、泣いているようだった。
「最低だろ? 自分勝手だろ? こんなに酷いことやっといて、誰にも迷惑かけないようにひっそり暮らすこともしないで、死ぬこともしないで。こうやって人のいるところにきて、悪いことばっか振りまいてんだ。・・・なあ、最後に一個、最大のわがまま言っていい?」
「・・・何ですか」
「俺、殺してくれない? その刀で」
 そのとき初めて、キリエは感情を見せた。怒りを含んだ目で、真っ向からアオイを睨み付ける。刀を鞘から引き抜いた。
「却下します。これは、人を殺すためのものではありません」
 そう言って、キリエは中空に刀を切りつけた。驚いたように、アオイがその様を見ていると、宿の入り口で小さな悲鳴が上がった。
「リナ、銃をしまうと約束してください。・・・従わなければ、私がしますよ。私の腕は、よく知っていますね?」
「でも、センパイ・・・」
「リナ」
 項垂れたように「はぁい」と声がして、リナが姿を現した。リナとキリエでアオイを挟みこむような配置だが、キリエにその気がないのは明らかだった。
 アオイが、一連のやり取りに驚いて目を見張る。それに対してキリエが、静かに口を開く。 
「今の時代に、刀を武器に使う者はほとんどいませんよ。少々の精神力だけで、簡単に気銃が使えるんですから。これは増幅に使っているだけです。私は結界師ですから」
 刀を一振りして、鞘に収める。
 アオイは、話が飲み込めないまま立ち尽くしていた。そこに、キリエが無表情な顔を向ける。
「素質があれば、この刀で強い結界が張れます。人の動きを止めることも、逆にこちらの思うように動かすこともできます。場合によっては、結界内の空気を抜いて、手も触れずに死に至らしめることもできます。知らずに、無邪気に殺してしまったこともありますよ。あなたのようにね」
「・・・程度が違うだろ」
「そうですよ、センパイ」
 アオイがうめくように呟き、リナが同意する。だが、眼の合った二人は、慌ててそっぽを向いた。二人の様子に、キリエは一瞬、微笑した。
 だがそれをすぐに打ち消すと、真っ直ぐにリナを見る。
「リナ、本部にこの件の報告をお願いします。原因不明、と」
「センパイ!?」
「アオイ、あなたのわがままを聞いてもいいと思います。その代わり、条件があります」
「条件?」
 状況が変なように流れているなと思いつつ、アオイは慎重に聞き返した。
「あなたの気が狂うか、その能力が暴走したときに限らせてもらいます」
「へ?」
「その間、私が見張ります。そうすれば、山奥にこもっても人恋しいこともないでしょう? そうしなくても、人のいるところで眠らないようにもできます。私が先に死んだ場合は・・・後を追ってくれると面倒がなくて済みますが・・・無理なようなら、ユラギの地を訪ねてください。カザトという私の師がいます」
 呆然と自分をみつめる二人に、キリエは笑顔を返した。リナが知る中でも、飛び切りの笑顔だった。
「そうすれば、問題はないでしょう」
「あるだろ、どころか何も解決してないだろ!? わかってんのか、俺の傍にいたらお前まで消えるんだぞ」
「十四年前は、消えませんでしたよ。試してみる価値はあると思いませんか?」
 そう言って、キリエは優しく微笑んだ。アオイが、言葉を失って立ち尽くす。
 代わりに、リナが我に返って口を開いた。どうしても、非難になる。
「そんなの、別の人に任せればいいじゃないですか! それに、それに、この人、殺されても仕方ないことしてるじゃないですか! そんな人のために先輩が犠牲になることない!」
「政府に知られたら、利用されるだけです。戦争時の秘密兵器としてでも使うでしょうね。そして、私は犠牲になるつもりはありません。これは私のわがままです。本人の望みからも、客観的にも、アオイが死ねば厄介事は解決するのですから。それを生きろというのは、わがままでしかありません」
 そう言ってから、キリエは目を伏せた。
「アオイは実際に酷いことをして、それを生かそうとする私はもっと酷いことをしているかもしれません。それでも、私は生きてほしいと思います。被害を出すことなく、生きてほしいと。アオイが何も感じていないなら、仕方のないことだと思うのなら、誰より私が殺そうと思っていました。けれど、違うから。ずっと、悔いているから。だから・・・責めるのはやめてください」
 リナとアオイ、二人ともが俯いた。
「リナ、私は調査中に崖から落ちたとでも報告しておいてください」
「センパイ・・・・」
 引き止めても無駄だと知り、リナにはそれしか言えなかった。これが正しいとも思えないが、間違っているかと訊かれても肯(うなず)けない。それと同時に、寂しくはあるがそれ以上に、思っていたよりも凄い、と半ば呆れ、半ば感心するのんきな部分も頭をもたげていた。
 その様子に、アオイが慌てた。敵対する位置にいるからこそ反対してくれると思ったリナが、諦めてしまったのだ。それは困る。何故、こんな展開になったのか。目が合った時点で、踵(きびす)を返して逃げるべきだったかもしれない。
 そう思ってキリエの方を見た瞬間に、村跡で再会したときのように目が合った。
「何か言いたそうですね。参考までに言っておくと、私はまだ十四年前に何も言わずに私を置いていった仕打ちを許していませんし、今日会ったときに逃げていたら、結界で引き止めるつもりでしたよ」
 微笑むキリエの姿に、アオイは己の敗北を悟った。・・・勝ち負けの問題ではなかったはずなのだが・・・。
 月が、中空から三人を見下ろしていた。

 

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