●NEXT (No.54)


 夜中の二十三時。
 いつもなら誰もいないオフィスに、二人の人間が残って仕事をしていた。二人はシステムエンジニアとプログラマーで、オフィスにあるコンピューターシステムの保守を委託された外部の人間だった。
「日向さん、修正プログラムCの組み込みが終わりました」
「じゃあ、こっちの組み込みをしてくれ」
 日向と呼ばれた男性システムエンジニアは、鞄から取り出した修正プログラムDを女性プログラマーの海田に渡した。
「さっきからずっと不思議に思ってたんですけど、どうしてこんな面倒くさいことをするんですか」
「そのことについてはさっきも言ったはずだ」
「でも、こんな面倒くさいことをしないで二人で手分けした方が早いと思いますけど」
「分かったような口を利くな」
 日向は海田をしかった。けれど、海田は納得がいかないようだった。海田が作業の内容が不自然なことに気付いているのは明らかで、日向は気が気ではなかった。とは言え、今さら海田を辞めさせる訳にもいかなかった。日向は不安と焦りと腹立ちでごちゃ混ぜになりながら作業をしていた。
 日向が不安を感じるのにも訳があった。と言うのも、日向はオフィスの人間に説明した「システムの点検」をしている訳でも、海田に言った「バグの修正」をしている訳でもなかった。海田も当然自分のやらされている作業が「バグの修正」ではないと気付いているはずで、もしかしたら本当のことにいくらか気付いているかもしれなかった。
「日向さん、修正プログラムDの組み込みが終わりました」
「ご苦労。次はこっちを組み込んでくれ」
「分かりました。でも、本当に修正プログラムを組み込むだけで良いんですか。バグの削除も手伝いますけど」
「いいから言われたとおりに修正プログラムを組み込んでくれ。バグの削除は一人でできるから手伝いはいらん」
「そうですか」
 海田は不満そうに修正プログラムEを受け取った。一応、修正プログラムの中身を見られても日向が何をしようとしているのか分からないようにしてあったが、念を押しておいた方が良さそうだった。
「余計な詮索をしようとするんじゃないぞ。君は黙って修正プログラムを組み込んでくれれば良いんだ。誰かにこの作業のことをしゃべったりしたらクビだからな」
 日向は海田に強い口調で言って、作業を急がせた。海田に憎まれようと恨まれようと、今は一刻も早く証拠を消してしまうことの方が大切だった。
「マクラ刑事め。この借りは必ず返させてもらうぞ」
 日向は小声で決意しながら、画面に映っている「証拠」を消し続けた。
 海田は「日向が欠陥プログラムを隠そうとしている」と見当を付けているようだったが、日向はそんなけちくさいことをしているのではなかった。マクラ刑事にかぎつけられて中止になってしまったものの、日向がしようとしていたのはもっと世界中をあっと言わせるような大事件だった。
「後少しで実行できたのに、首領になんと報告すれば良いんだ」
 そう、日向は海田にも秘密にしていたが、ただのシステムエンジニアではなかった。システム管理会社に勤めるシステムエンジニアというのは世を忍ぶ仮の姿で、日向の正体は世界征服をたくらむ悪の組織「日向五人衆」の大幹部だった。
「日向さん、修正プログラムEの組み込みが終わりました」
「うむ。次はこっちを組み込むのじゃ」
「えっ」
 海田が日向の言葉遣いに驚いて修正プログラムEを落っことしそうになった。でも、日向はいつの間にか大幹部の言葉遣いになってしまったことに気が付かなかった。
 日向は自分の作業が終わってから海田を手伝いまでして、予定より早く作業を終わらせた。作業は徹底していて、システムのどこにも証拠は残ってなかった。
「終わりましたね」
「うむ。これだけ証拠が消失してしまえばマクラ刑事も儂に手を出せまい」
「日向さん、本当にどうしたんですか。さっきから『マクラ刑事』とか『首領』とか、まるでテレビの悪役みたいですよ」
「そ、そんなことはないぞ。儂は『これでまくらを高くして眠れる』ということを言っただけだ」
 日向は海田に指摘されて慌ててごまかそうとした。日向が「日向五人衆」の大幹部ということは誰にも知られてはならなかったし、ましてや「日向五人衆」がインターネット上で結成されてからまだ日が浅く、組織の構成員が五人しかいないことなど決して知られてはならなかった。
 「何をごちゃごちゃ言ってるんだ」
「だ、誰だ」
 突然男性の声に割り込まれて、驚いた日向はオフィスを見回した。
「『まくらを高くして眠れる』と言っていたようだが、まくらを高くするとかえって寝にくくなるもんだぜ」
「うるさい。隠れてないで出て来い」
「日向さん、あそこです」
 一緒にオフィスを見回していた海田がオフィスの出入り口を指差した。オフィスには誰もいないはずだったが、オフィスの出入り口に誰かいるようだった。
「何者だ」
「お前がよく知っている者さ。システムの保守を装って陰謀を進めるとは考えたが、お前が証拠を消そうとしていることぐらいとっくにお見通しだ。『日向五人衆』大幹部、日向丁彦。不正アクセス防止法違反の容疑で逮捕する」
「マ、マクラ刑事」
 日向は出入り口にいる男性に向かって叫んだ。男性はマクラ刑事に間違いなかった。スーツ姿の小脇にまくらを抱え、自信に満ちた足取りでオフィスに入って来るその姿を見間違えるはずがなかった。
「くそ、どうしてここが分かった」
「簡単なことさ。お前が何かを企んでいることは分かっていたから、お前の勤務記録を見て見当を付けていたのさ」
「海田。まさかお前……」
「ち、違います。私は何にも知りません。日向さんのこともそっちの刑事さんのことも何にも知りません」
 海田はひどくおびえながら否定した。さっきまで平気だったくせに、日向が悪人だと知って急に怖くなったようだった。
「おい、日向。罪のないお嬢さんを怖がらせるのはよせ」
「うるさい。お前こそ一つも罪を犯していない我々を捕まえようとする悪者ではないか」
 日向はマクラ刑事に言い返した。「日向五人衆」は今までに何度もマクラ刑事に邪魔されていて、一回だってまともに陰謀を成功させたことがなかった。
「これまでに我々がどれだけ陰謀に金をつぎ込んで失ってきたか分かっているのか。家が一軒買えるくらい費やしてるんだぞ。この金の重みがお前に分かるか」
「それはこっちのセリフだ。お前たちこそ社会にどれだけの金を浪費させているのか分かっているのか。お前たちを捕まえるために費やしている金は税金なんだぞ」
 マクラ刑事の強い言葉に、日向は黙った。マクラ刑事の言葉には筋が通っていて、日向は反論できなかった。そして、そのことがますます日向の憎しみをあおった。
 日向の沈黙を降伏と見たのか、マクラ刑事が日向と海田に近付いた。
「近付くな。それ以上近付くと……」
「『それ以上近付くと』、どうするんだ。俺はこのとおりまくらしか持ってないぞ。『日向五人衆』大幹部ならもっと大幹部らしくしたらどうだ」
「う、うるさい。そんなに言うんだったら逮捕する証拠を見せてみろ。証拠がなければ儂を逮捕できないはずだぞ」
「『証拠』」
「そうだ。ここのシステムの証拠はすべて消失して役に立たないぞ。儂を逮捕するというのなら証拠を見せてみろ」
 日向は近付いて来るマクラ刑事に叫んだ。日向はそのために海田まで使って修正プログラムを組み込んだのだ。作業が終了していることを思い出して、日向は自信が回復してくるのを感じた。
 でも、マクラ刑事は余裕のある態度を崩さなかった。
「じゃあ、見せてやろう」
「な、なんだと」
「こういうこともあるだろうと思って、オフィスの人間にバックアップを取っておいてもらったのさ。証拠隠しが無駄になってご苦労だったな」
 マクラ刑事はそう言って、日向にバックアップのディスクを放った。
「くそー」
 日向は足下に滑って来たディスクをにらみつけた。踏み付けて粉々にしてやりたかったが、かろうじてその衝動を抑えた。
「言っておくが、そのディスクを壊しても他にまだあるからな」
「分かっとる」
 日向はマクラ刑事に視線を戻した。視線で人を殺せるのなら殺してやりたいほど憎かった。マクラ刑事は日向の「日向五人衆」大幹部としての誇りと、システムエンジニアとしての自信をこっぱみじんに打ち砕いた。
 マクラ刑事はさらに近付いて、日向に投降するよう要求した。
「さあ、遊びの時間はもう終わりだ。そこのお嬢さんを解放して、おとなしく観念しな」
 マクラ刑事が合図すると、オフィスに制服警官たちが入って来て出入り口を固めた。
「汚いぞ」
「そうさ。システムエンジニアの信頼を裏切ったお前にはお似合いだな」
 マクラ刑事は得意そうに言った。日向が裏口を見ると、裏口も同じように制服警官たちで包囲されていた。
「くそー」
「日向さん、投降してください。これ以上抵抗しても無駄です」
 今まで黙って見ていた海田が言った。日向を説得しようとしたらしいが、日向の気持ちを逆なでしただけだった。
「日向さん……」
「黙れ。黙れ黙れ黙れ。お前に儂の無念が分かってたまるか」
 日向は海田を怒鳴りつけた。確かに、この状況から脱出するのはほとんど不可能だった。でも、日向には「日向五人衆」大幹部としての意地があった。
「儂は『日向五人衆』大幹部だ。お前たちになど捕まってたまるか」
 日向はそう叫ぶように言って、鞄から隠し持っていた拳銃を引き抜いた。
 日向が発砲するのと同時に、天井の照明の一部が破損した。
「きゃー」
 海田が悲鳴を上げ、マクラ刑事と制服警官たちの動きが乱れた。
「お前はここに残るんだ」
 日向は逃げようとする海田を捕まえて人質にし、阻止しようとするマクラ刑事たちを拳銃で威嚇した。
「近付くんじゃない」
「日向、正気か」
「当たり前だ。儂は『日向五人衆』の大幹部だ。お前たちになどは決して捕まらん」
 日向が拳銃を向けると、制服警官たちは包囲を緩めた。劇的な形勢逆転だった。
「裏口を空けろ。儂に手を出すな。ちょっとでも手を出そうとしたら海田が死ぬぞ」
 日向はマクラ刑事に要求した。切り札を手にして、日向は再び自信を回復しつつあった。
「分かった。分かったからお嬢さんを解放しろ」
 マクラ刑事が日向の要求を飲んで、制服警官たちに裏口を空けさせた。
「これで全部か」
「ああ。これで全員だ。お嬢さんを早く解放しろ」
 マクラ刑事が言ったが、日向は海田を解放するつもりはまったくなかった。
「そういう訳にはいかん。海田を解放したとたんに襲い掛かられてはたまらんからな。警官たちには全員出入り口の方に移動してもらおう」
 日向はマクラ刑事に新たな要求を突き付けながら、「マクラ刑事に復讐する」という誘惑を感じてもいた。
「早く移動しないか。海田が死んでも構わんと言うのか」
「くそ、移動しろ」
「移動するときはオフィスのはじを通るんじゃぞ。一歩でも儂に近付こうとしたら海田が死ぬぞ」
 日向は海田に拳銃を突き付けて、移動する制服警官たちを脅した。悔しそうにしているマクラ刑事や制服警官たちを見るのは楽しかったが、まだまだ復讐はこれからだった。
「移動が終わったら全員武器を捨てろ」
「なんだと。いい加減にお嬢さんを解放しないか」
「動くんじゃない。動いたら海田が死ぬと言ったはずだ」
 日向は引き金を引く素振りをしてマクラ刑事を威嚇した。
「マクラ刑事はまくらを捨てろ。警官たちも早く捨てるんだ。三つ数えるうちに捨てないと海田が死ぬぞ」
「分かった。全員武器を捨てろ」
 マクラ刑事が苦しそうに言って、制服警官たちも武器を捨てた。まくらはマクラ刑事のトレードマークであると同時に、唯一の「武器」でもあった。
「まくらはこっちに放れ」
 日向はマクラ刑事に言って放らせると、力一杯まくらを踏み付け始めた。
「『拳銃の代わりにまくらで十分』などとふざけたことをぬかしおって」
 日向はまくらがマクラ刑事であるかのように踏み付け続けた。いくら踏み付けても足りないくらいだった。
「そうじゃ、マクラ刑事がなぜまくらを持つようになったか教えてやろう」
 日向が海田に言い聞かせようとするとマクラ刑事が叫んだ。
「止めろ」
「ほう。マクラ刑事も死んだ妻のことには触れられたくないようじゃな」
「復讐ならもう気が済んだろう。さっさとお嬢さんを解放してどこへなりとも失せろ」
 マクラ刑事は怒りで体を小刻みに震わせていた。飛び掛かりたい衝動をかろうじて抑えているようだった。
 日向もマクラ刑事の様子に満足して、逃げることを思い出した。
「ご忠告ありがとう。確かに、そろそろ逃げた方が良さそうじゃな」
「お嬢さんを早く解放しろ」
「そう騒ぐでない。タクシーでも拾ったら解放してやるわ。海田が戻って来るまで動くでないぞ」
 日向はマクラ刑事を見下すように言って、海田を促した。
「しっかり歩くのじゃぞ」
「分かりましたから殺さないでください……」
 海田はすっかりおびえた様子で言い、日向の指示におとなしく従った。日向は海田を人質にしたまま後ずさって裏口へ向かい、制服警官たちは日向を目の前にして近付くことさえできなかった。
「警部、ご指示を」
「待て、日向に行かせるんだ」
 マクラ刑事は制服警官たちを制した。
「そのとおりじゃ。馬鹿な真似を考えるでないぞ」
 日向も拳銃で制服警官たちを威嚇しながら、得意そうに後ずさりを続けた。
 日向が勝ちを確信したとき、不自然な体勢で後ずさりをさせられていた海田が足をいすに引っ掛けた。
「あっ」
「ば、馬鹿者」
 海田が体勢を崩すのと同時に、日向も引っ張られて大きく体勢を崩した。拳銃が見当違いの方向に向けられ、マクラ刑事がそのすきを突いて突進した。
「マ、マクラ刑事」
「ひざマクラキーック」
 マクラ刑事は日向の顔面めがけて飛びひざ蹴りを繰り出した。日向はよける暇なくまともに飛びひざ蹴りを受けてしまい、海田とは別に後ろへ倒れた。
「掛かれ」
 制服警官たちも一斉に日向に殺到した。
「日向五人衆バンザー……」
 日向は叫びながら倒れようとしたが、最後まで叫び終えることができなかった。日向は制服警官たちに殺到されて、最後まで叫び終えることさえできないまま取り押さえられてしまった。
 日向に飛びひざ蹴りを決めたマクラ刑事は、海田を助け起こしながら尋ねた。
「お嬢さん、怪我はなかったかい」
「は、はい。大丈夫です」
「怖がらせてしまって済まない。日向が拳銃を持っていたとは知らなかったんだ」
「いえ、こちらこそ助けていただいてありがとうございます」
 海田が訳の分からないまま礼を言うと、制服警官たちの一人がマクラ刑事に報告した。
「警部、日向丁彦を逮捕しました」
「ご苦労。これで俺たちも帰れるな」
「それから、このまくらはどう致しましょう」
「そのまくらは日向のせんべつにやるよ。刑務所のまくらは堅いからな」
 マクラ刑事は日向を見ながら答えた。

 

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