●NEXT(No.76)

 

 私、栗本圭介と申します。実は隊長なんです。
 あ。あなたいま鼻で笑いましたね。もしくは思いっきり訝りましたね。はたまた、この男は戦争映画か特撮の見過ぎで頭がちょっとおかしくなったんだろうと思いましたね。トシはいくつなんだと毒づきたい衝動に駆られましたね。
 先月で三十になりました。ちなみに新婚ほやほやです。生まれたばかりのガキがいます。2399グラムでした。医者は、未熟児だから予断を許さないなんてほざいていましたが、隊長の子は強いんです。オギャーオギャーと、威勢のいいことといったらありません。ツラからはわかりませんが、股の間を確認するに、どうやら男の子のようです。カミさんは「あなたにソックリね」と言いますが、私はこんな猿みたいな顔はしていない、どう見たって私のほうがずっとハンサムではないかバカモン、などと思ったりしましたが、そういうふうにこのガキとの類似性を真っ向から否定すると、まるで私がカミさんの不倫を疑っていることになりかねないので、黙ってます。罪刑法定主義の精神からいくと不倫は犯罪ではないのですが、しかしだからといって、カミさんに不倫されても困ります。私だってしてないんだから。結婚前なら、腕枕をしてやった女は数知れず、ですけどね。あはは。
 「あはは」ですよ。ここ、笑うとこです。面白いジョークだと笑い飛ばしてくれないと困りますよ。よろしくお願いしますよ。あなたたちと同じで、私だってカミさんが怖いんだから。
 要するになんだかんだいって、つまりこの赤ん坊は、生まれながらにして隊長の息子なのです。めでたいガキですな。
 む、子持ちでありながらアッチの世界にイッてしまってるのね、パープリンな親父を持ってしまった子供はカワイソーだ、なんて思いましたね。ええ、あなたの考えそうなことくらいわかりますよ。なにしろ私は隊長だもの。
 正確には警備隊長です。「あ、ウルトラマンマニアか」で片づけないように。警備員の話だというふうに連想できなかったあなたのほうこそ特撮に毒されてるんじゃないですか。
 道路工事とかで警官もどきの格好をして、手やライトセーバーの子供みたいのものを動かして車の流れをさばいている人間たちがいるでしょう。彼らは私的に言えば隊員です。彼らを直轄する立場である私は隊長なのです。いやマジで。警備会社とか、そのなかでも支社とかって区分はありますけどね。
 突然ですが、かげろうって見たことありますか。いや、昆虫じゃなくて自然現象のほうです。夏のクソ暑い日に、熱を含んだ空気がゆらゆらと揺らめくのが肉眼で見えてしまう現象です。ないですか。ないでしょうね。あっても一、二度程度でしょうな。あれは熱を吸い易いアスファルトの上によく見られるんですが、その道路と地続きの工事現場で車の誘導をやっていると、車が巻き上げるドライヤーのような熱風を顔面に受けっぱなしの状態です。かげろうの見える日に八時間も立ち尽くしていると脳みそ茹だります。ヘルメットの中身は汗だくです。できればこんなもんかぶりたくないのですが、法律上、現場での着用が義務づけられているのです。頭髪は悪臭を放つ水で濡らしたような惨状になります。そんな経験ありますか。ないですか。毎年下手をするとクーラーで風邪をひいてしまうような夏を過ごしていますか。そうでした。夏はクーラーに寒がる季節でした。そんな現代的な生活もありましたね。忘れてました。
 土砂降りのなか、八時間も立ち尽くしたことがありますか。ないですか。そうですか。雨の日は濡れないように屋内で過ごすのが常識ですか。そう言えばそういう気もします。私はその非常識をトータルで百五十日は経験しています。冬場なんて、手がアル中みたいに勝手に震え出すんですよ。寒すぎて。 真夜中。睡魔と戦いながら道路に八時間立ち尽くしたことがありますか。ないですか。酔っぱらって道路に寝転がったことはあるんですか。そうですか。羨ましくないですね。
 舞台役者志望から崩れてのらりくらりと過ごしていたんですが、ある日突然バイクで日本縦断をしたくなって、その金を稼ぐためにほんの三ヵ月ほどのつもりで警備会社に入り、いつのまにやらズルズルと三年も勤めているうちに昇進しました。つまり隊員から隊長になりました。ウルトラマンと関係ないということがおわかりいただけたでしょうか。なかなか世間に「隊長」という役職で仕事をしている人間はいないですよね。密かに自慢。
 ちなみに、私の直属の上司は室長です。さらに上が支社長です。「支社長」はともかく、「隊長」と「室長」だと前者のほうが偉そうに聞こえるのが世間的認識だと思うのですが、残念ながら現実はそうではないんです。
 そうそう、これだけは言っておきたいんですが、警備という仕事を甘く見てないでほしいですね。ただボケーッと立っているだけだと思っている一般人も多いでしょうが、なにをおっしゃるやらです。例えば百人の作業員が詰めている工事現場で、安全を専門に勤務しているのは警備員だけなんです。だって、それが仕事だから。ぼんやりしていられるわけがないんです。あ、そうは言っても、態度がだらしなくていいかげんな誘導をしている奴も多く見かけると言いたそうですね。それは他社の警備会社です。ウチの会社は業界第一位。あの某ハリウッドスターの護衛を引き受けるほどの会社です。隊長としてその責任者の担に就いたのはこの私です。エッヘン。群がるねーちゃんたちを押しとどめるのは大変でしたよ。あの女ども、一体何を考えてあんなに波のように押し寄せてくるんでしょうね。理性もへちゃむくれもないですな。両手を横いっぱいに広げてなんとか制止するわけですが、彼女たちの胸がぷにぷにとあたりまくりでした。かげろうの見える日々を耐えた成果ですな。こんなあからさまな密着、ふつうなら彼女たちに痴漢だのセクハラだのと訴えられてもおかしくないんですが、ある意味オカシくなってる彼女たちは一向に気にしないんですね。役得だぜと興奮してしまった反面、彼女たちにとって私というダンディーな存在は完全に消失してしまっているのであって、キミたちこんなに触っているのに少しは恥じらってくれないと燃えないではないか、隊長を石ころ扱いしないでくれと、半べそをかきたくなったものでした。

 

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