●NEXT(No.82)

 

 へへへへへへへ。
 なに人の顔じろじろ見てんだよ、そこのオッサン。そっちの兄ちゃんも、なんだよ。
 そーか、うらやましいんだ。そうだよな、今日はバレンタインだもんな。そーか、そーか、めいっぱいうらやましがってくれよ、このでっかいペコちゃんの手提げ袋。
 でもな、この袋を俺にくれた子を見たら、あんたらもっとうらやましくなるぜ。へへへへへ。
 俺だってまだ信じられない気分だもんな。残業終わって会社の裏口を出たら、フロアで一番可愛い子が「これ、もらってください」って小さい声で言って、この袋を渡してくれたんだもんな。
 それも、ペコちゃんの袋ときたもんだ。俺の趣味を知っててくれたのか、俺と趣味が一緒なんだか、どっちでも嬉しいよな。へへ。
 おっと、自分ちのマンションの前、通り過ぎるとこだった。いかん、えらく浮かれてるらしいな。ま、浮かれない方が変だろうけどさ、へへ。エレベーター上がって、家の鍵開けて、ほい帰ったぞと。
 さて、袋の中身を見るか。チョコだけにしちゃあやけに重いんだよな、これ。
 ん、箱がふたつ入ってるな。大きい箱と小さい箱がある。俺は好物は先に食べる主義だから、ここはやっぱりデカ箱からだな。
 この包み紙もペコちゃん柄なんだよな。いいねえ。
 おお、不二家のハートチョコレートが箱にぎっちり入ってるっ。いくつ入ってんだ…、うお、二ダースもあるよ。さっそく一個いただきまーす。
 …これこれ、これだよ。この、チョコレートとピーナッツの絶妙なハーモニーがいいんだよ。このフレンドリーな感じは、外国の高いチョコにゃないんだよ。だから俺は不二家のチョコが好きなんだっ。
 うはははは、何で俺の趣味が分かったのかなー。嬉しすぎるぜーっ。いっぺんに食べるのはもったいないから、ありがたーく毎日ちびちび食べよう。ふへへ。
 じゃ、もひとつの箱も開けてみるか。
 あははははは、こりゃいいーっ。
 卓上目覚まし時計なんだが、タダの時計じゃない。二十四時間計なんだよ。
 普通の時計の文字盤は1から12までだけど、こいつは1から24まであるんだ。でもって、針は一個だけ。時針だけで、分針も秒針もない。
 俺、好きなんだよ。こういう馬鹿馬鹿しくて使いものにならないヘンな物。うわ、よくこんなの探してくれたよなあ。たまんないぜ。へ、へへへへへへっ。
 しかも、これ、すっげえ俺好みのボディなんだよな。オレンジの横長楕円形の本体に、太めで丸っこい文字盤の数字もオレンジ。うーん、イケてるぜ。
 嬉しすぎて、俺、今晩寝られないかも知れない。ふ、ふふふふふふ、ふ……………ぐーっ。


 …ん? 枕元でごそごそ音がしてるな。
 泥棒か? うちに金目のものなんかないぞ。帰るついでにゴミ持ってってくれ。
 それともゴキブリか? 隣の方がいいもん食ってるから、あっちに行ってこいよ。
 どっちでもないな、これ。泥棒がこんなにうるさくするわけないし、ゴキブリが人間語しゃべらないもんな。
 『信じらんなーい、なんで一個足りないのよぉ』
 『やっぱり年の順で取ってくよな』
 『一番の年下にも救いの手を』
 『ならば勝負だ。じゃんけんで決めよう』
 『皆で均等に分けようという精神が、今時の若い者には欠けておるの』
 こんなあんばいで、大量の声どもが、頭の反対側でこそこそこそこそ喋ってやがる。何だよ、いったい。何がいるんだよ。うう、寝ぼけてるから首がうまく回らない。
 ………ぎゃーっ。
 数字が、数字がわらわら動いてやがるーっ。蛍光オレンジにぼけーっと光ってる、ちっこい数字どもがうじゃーっと固まって、人間語しゃべってやがるーっ。
 ゆ、夢だっ、絶対夢に決まってるっ。いっつもイヤイヤ経理の計算してるから、数字の祟りが出たんだーっ。
 勘弁してくれーっ。
 お、俺は何も見なかったっ。見なかったんだっ。夢だ、夢なんだっ。布団かぶって寝てしまえっ。なんまいだぶ、なんまいだぶ…


 …うう、朝か。
 えらく嫌な夢を見た気はするんだよな。なんか気持ち悪いのはそのせいだと思うんだが、何だったけなあ。
 あっ。そうだ、あのチョコと時計っ。
 あれが夢だったら、俺、マジで泣くぞ。
 貰った二十四時間計、あるよな。
 うん、大丈夫だ………けど、なんじゃこりゃーっ。
 俺の記憶中枢がぶっこわてなけりゃ、こいつの文字盤は胴体と同じオレンジ色してたはずなんだ。なのに、どうしてチョコレート色に化けてるんだよーっ。これじゃお茶目さが減っちまうじゃないかっ。
 …よく見たら、一個だけオレンジの数字がいるなあ。でもさ、なんで16なんて中途半端なところなんだよ。
 ぎゃーっ。
 チョコが、俺のチョコが、あの子から貰った大事なハートチョコが、消失してるーっ。袋も残ってないじゃないかーっ。
 うわあっ、誰だ、誰がこんなことしやがったんだよーっ。俺の大事なチョコ、二十三個を倍にして返しやがれーっ。
 『なんであの人さわいでるのー?』
 『オレらがチョコ食べるところ、見てたのにさ』
 『ショックで忘れてしまわれたのでしょうね』
 『人間には、自分の都合の悪いことを忘れてしまえる機能があるからの』
 『そんなに驚くようなことなの、時計の文字盤の数字が動いて、話して、食物摂取するのって?』
 『大事なものなら、ちゃんとしまっておけばいいんだよ。ほりっぱなしにしておいた、自分が悪いとは思ってないのかね』
 うぬぬぬぬ、犯人はおまえか、二十四時間計の文字盤どもっ。あの子からの貰い物でも手加減しねえ。おしおきだあっ。逆さ吊りの刑にしてやる。
 『ぎゃーっ』
 ひひひひひ、苦しめ、苦しめ−。俺のショックはこんなもんじゃねえんだっ。
 『ぐぐぐぐぐ、ぐあぁっ』
 ん? 時計から何か出てきたぞ。
 あっ、パッケージに入ったまんまのハートチョコが、時計から半分顔出してるぞっ。
 ははーん、俺のチョコ喰ったのはいいけど、文字盤にゃ消化器がないから吸収できなかったんだな。
 おっ、良く見たら、8の文字盤が半分オレンジ色になってるぞ。今出てきてるのはお前が食ったチョコだな、正直にいいやがれっ。
 『は…はひ、そうれす…』
 おっしゃ、そうと分かりゃあ、何が何でも全部取り戻してやろうじゃないか、俺のチョコっ。
 それ、尻たたきまくってやるっ。
 ぺんぺんぺんぺんぺんぺんぺんぺんっ。
 『痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ』
 ぽとん、ぽとん、ぽとん。
 時計からチョコが三個、出てきたぞ。よしよし、その調子だ。
 ぺしぺしぺしぺしぺしぺしぺしぺしっ。
 『いたたいたたいたたいたたいたたたっ』
 ぽと、ぽと、ぽと、ぽと、ぽと、ぽと。
 おっしゃ、これで九個っ。
 べしべしべしべしべしべしべしべしっ。
 『いたたたたたいたたたたたいたたたっ』
 ぼと、ぼと、ぼと、ぼと、ぼと、ぼと。
 ふう、十五個回収。もう少しだな。
 べんべんべんべんべんべんべんべんっ。
 『いたーーーーーーーーーーーーーーっ』
 ぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼと、ぼとっ。
 ………ふっ、勝ったぜ。時計の奴から俺のチョコを取り戻したぜい。人間サマをナメるなよ、ふはははははは。
 文字盤もみんなオレンジ色に戻ってるよな…あれ、なんで21だけ緑色してるんだあ。そういやあ、そのへんにあったメロン飴の袋がなくなってるな。喰ってるなら素直に吐け。黙ってるとためにならんぞ。
 そーか、知らんぷりする気か。そっちがその気ならしょうがない。平手打ちしてやる。
 ばしーんっ。
 『ひえーっ』
 どさっ。
 …まったく、お徳用100個入りのデカ袋、丸呑みするなよな。
 ふう、朝メシ代わりに愛しのハートチョコを一個食べてくか。…労働の後の甘いものは、たまらんね。あの子からの貰い物だと思うと、尚更な。ふ、ふふふふふふふ。
 そうだ、留守の間にまた何か喰われちゃたまらんから、この時計、元の箱にしまっておこう。出歩かないように、箱もガムテープでぐるぐる巻きにしてさ。
 さっ、そろそろ会社行くか。
 あの子にどうお礼言おうかな。へ、へへへへへへへ。

 

● NEXT(No.82)