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※10年以上も前に友人のHPに書いたエッセイを再編集しました。



 梅雨ですね(これを書いているのは、7月の初め)。しかし、今年の梅雨はあまり雨が降らない。この調子だと、夏はまた面 倒なことになるんだろうか。でも、そんなことを考えていると、急に雨が振り出したりするんですよねえ。
 今日は友人のTさんと、神宮球場にヤクルト−広島戦を見に行く予定が、雨で試合が流れてしまいました。こうやって都合の悪いときに降るのが、梅雨なんですよねえ。
 シトシト、ジメジメ、まったく陰険なんだからなあ。お金を払って買ったチケットなら、払い戻しもできるんでしょうが、新聞屋さんからもらった招待券なので、試合が中止になればパァ。まあ、無料でもらったんだから実害はないんだけど、なんだかとっても損したような気分。

 広島生まれで根っからのカープファン、神宮球場で広島の試合があるときは、できるだけ応援に行くようにしている。神宮の外野席は、ゆったりしているから好きなんですよ。レフト、ライト関係なく、外野スタンドを自由に動き回ることができるしね。
 野球観戦は、外野で見るのが一番。なんといっても、ホームランの魅力が大きい。ホームランボールを取れるなんて、宝くじに当たるようなもんだけど、なんだか自分の所に飛んでくるような気がするんだよなあ。前田や金本の打席になると、わざわざ敵地のライトスタンドまで遠征したり。
 同じ東京都内でも、東京ドームの巨人戦は、はなっからパス。チケットを確保するのが面 倒だし、密閉されたドームのどんよりした空間も苦手。それに、どうせテレビで放映するんだからね。
 横浜球場は、ちょっと遠いなあ。一度、様子見に出掛けたことがあるんだけど、外野スタンドが狭いのが気に食わない。レフト側とライト側のスタンドをつなぐ通 路がないので、自由に往来できないのも不満。まあ、巨人戦と同じで、テレビ神奈川で放映してくれるから、無理して行くこともないよね。
 野球観戦は、大概がTさんと一緒なんです。いつもTさんが、無料の招待券を手 配してくれる。Tさん、新聞の集金の兄ちゃんと仲良くなって、希望する対戦カードのチケットをもらっているんですよ。そのお返しに、ときどき小遣い銭を渡しているらしいんだけど、正規の入場料を考えたら微々たるもの。逞しいですよねえ。そのおこぼれに預かって、私もロハで野球観戦ができるというわけです。
 球場に行くときは、目いっぱい楽しむようにしている。早めに入場して、試合前の打撃練習やノックを飽きもせず見入っている。2人とも、野球が本当に好きなんですよ。でも、やっぱりTさんにはかなわないかな。私が観戦するのは、カープの試合がほとんどだけど、Tさんは他のカードも見に来るからね。ときには、実業団の試合を見に行ったり。入場料がタダだし、うまく会社の応援席にもぐり込むと、弁当まで支給してくれるらしい。

 Tさんと初めて会ったのは、もう16年も前になる。私が新卒で入った会社に、Tさんが流れて来た。秋口の中途採用で、Tさんがちょうど30歳のときだと記憶している。薬専門の出版社で、いわゆる業界紙(業界誌)というやつです。
 業界紙というと、いかにも胡散臭いというイメージだけど、その会社は……、やっぱり胡散臭かった。突然、あるメーカーのCMを糾弾するキャンペーンを張ったりする。それが、どう考えても“いちゃもん”としか思えない内容。あとで営業の人間に確認したら、うちの社長がそのメーカーに多額の広告料をふっかけて、蹴られたのだという。もう、限りなく黒色に近いグレイ。
 でも、程度の差こそあれ、大手のマスコミでも同じことをやっている。大手の広告主(金蔓)は、決して攻撃しないもの。正義の鉄槌を下すのは、営業とは関係ないところばかりなり。
 Tさんの印象は、最初から強烈だった。会社に出て来ないんだもの。遅刻なんてもんじゃない。午後から出社してくるのはまだいい方で、ひどいときには、みんなが退社する時刻にひょっこり顔を出したりする。
 Tさん本人は、定刻(午前9時)に出社する意志があるらしい。ちゃんと目覚まし時計をセットしていても、どうしても起きられない。完全な夜型で、夜中になると目が冴えて寝られない。夜明けとともに、うとうとしてくる。その会社に入る前に、徹夜麻雀ばかりやっていて、体質が夜型になってしまったようだ。
 Tさんなりに努力はしていたらしい。午前中に大事な取材が入っているときは、前の晩から一睡もしないで起きている。一度、寝ちゃったら、もうおしまいだもの。完徹で、青黒い顔をして会社に出ていたのを覚えている。かろうじて仕事の帳尻は合わせていたような気はするけど、そんな努力が会社に通 じるはずもなく、半年もたずにクビ。社長は、Tさんが覚醒剤でもやってるんじゃないかと本気で心配していたそうな。

 Tさん、社会人としてはハチャメチャな人だったけど、人間的にはとても暖かい人だった。私のような新卒のペイペイを、ちゃんと仲間として扱ってくれた。上下の関係ではなくて、同等の友人として遇してくれた。
 会社をクビになったTさんは、自由人になった。Tさん、学生の頃にひどい交通 事故に遭って、そのときの保障金が月にいくらか入ってくるらしい。ボロアパートの家賃を払うと3万も残らないけど、かつかつ食べていくことはできる。Tさん本人は、「自分の足を食べて生きる蛸と一緒だよ」と自嘲していたけどね。
 私も3年でその会社を飛び出して、念願の自由人になった。でも、執行猶予は失業保険が支給される期間だけ。それを少しでも長引かせるために、いくらか蓄えが ほしいと思った。
「何か、遊びながら金が稼げること、ありませんかね」
 何気なくTさんに相談した。
「そんなうまい話は、転がってないよ」
 Tさんも、金には慢性的に飢えている。でも、2人とも当面は、自分の自由な時間を安売りするつもりはなかった。
「甘くはないか」
 そのとき、部屋のすみに積み上げてある新聞紙の束が目に入った。Tさんは、駅前のクズ入れから、新聞を拾って来るのが日課だった。大手の日刊紙はもちろん、スポーツ新聞、経済紙まで、熱心に読んでいる。時間はいくらでもあるんだから。そうして溜まった新聞は、なじみの古紙回収業者に換金してもらっていた。煙草銭ぐらいにはなるという。
「チリ紙交換て、おもしろそうだな」
 何げなくいった言葉に、Tさんが飛びついた。
「うん、けっこう金になるらしいな」
「そういえば、ごみ捨て場にけっこう新聞の束が捨ててありますよね」
「そうだな、そいつを拾っていけば、トイレットペーパーや金を払う必要はないんだからな」
 取らぬ狸の皮算用で、話はどんどん盛り上がっていった。

 Tさんの顔なじみの業者の紹介で、2人で古紙回収会社の事務所まで出掛けて行った。アパートを改装した一室で、四十半ばのおばさんが、事務全般 を差配していた。社長は浅黒く日焼けした五十男で、本業は運送屋だという。トラック野郎の成り上がり、といったところ。当時は古紙の値段が高騰していた時期で、 他業種からの参入も多かったようだ。
 事務のおばさん、どこか表情に陰があって、物腰が妙になまめかしい。社長とはただの関係ではないと睨んだが、まだ二十代の半ばだった私の勘が当たっていたかどうかは自信がない。
 チリ紙交換屋の先輩たちは、さすがにユニークな人が集まっていた。アウトサイダーの先輩でもある。話を聞いているだけでも面 白い。大の競輪好きのおっちゃんがいて、仕事中に競輪場のそばを通りかかった。いや、たぶん、最初からそのつもりで、競輪場のそばを流していたんだろう。ちょっと骨休めに遊んで行くつもりが、いつものことで熱くなって最終レースまで。スッテンテンになって車に戻って来ると、荷台に積んであったお宝が、すっかり同業者に抜き取られていた。
 裏技をいろいろと教えてくれる人もいた。よく使わせてもらったのは、雑誌を新聞の間に挟むという禁じ手。新聞の方が雑誌の2倍近くの値が付いて、キロ当たり20円で引き取ってもらえた。雨が降ると大喜び。すぐに幌(ほろ)を外して、水気をたっぷり染み込ませて重量 を増やす。しかし、欲張り過ぎて水浸しにしてしまうと、計量のときに水切りを命じられて、余計な労力を使う羽目になる。

 さて、いよいよ初仕事の日。車の運転が私で、Tさんが助手席で待機している。 Tさんは免許を持ってないので、この役割分担は必然だった。のんびり軽トラで、 住宅街を流していた。
「なかなか声がかかりませんんね」
 私がTさんに話しかけた。
「他の業者に先を越されたのかもしれないな」
 河岸を変えてみた。それでも、誰からも声がかからない。当然だ。肝心なものを忘れていた。スピーカーから流れる例の「毎度、おさわがせしております……」の声。ようやくそのことに気づいて、カセットテープを探したが、どこにも入っていない。あの事務のおばさんが、入れ忘れたらしい。
「こりゃ、自分で呼びかけるしかありませんね」
 マイクを見ながら、私が言った。両手はしっかり、ハンドルを握っている。Tさんがやって下さいよ、と言外に匂わせたのだ。
 Tさん、仕方がないなという感じで、マイクをフックから外して、口の前に持ってきた。スイッチを入れて、コホンと一つ咳払い。車外に取り付けられた拡声器から、その咳が増幅されて響いた。しかし、その後の言葉が出てこない。Tさん、しばらくそのままの格好で固まっていた。そして、 小さくかぶりを振って、マイクを元のフックに戻した。
「テープを取りに帰りますか」
 ハンドルを切って角を曲がると、集積ゴミが目に入った。折り畳んだ段ボールがうずたかく積み上げてある。スピードを上げて、車を段ボールのそばに横付けした。急いで車から飛び出すと、2人で段ボールを荷台に積み上げた。段ボールの売値は、キロ当たり22円で、新聞よりも高いのだ。
 それからは、もっぱら集積ゴミの残っている地区を狙って流した。新聞紙の束は、なかなか落ちていないが、不思議なことに段ボールはけっこう捨ててある。それをひたすら拾い集めた。日が暮れる頃になると、軽トラの荷台が満杯になっていた。
「これだけあれば、1万は堅いですよね」
「まあな、ひょっとしたら、2万ぐらいはいってるかもしれないな」
 2人とも、鼻息が荒い。稼ぎのいい日は、2万ぐらいは軽いと先輩たちが言って いた。
 意気揚々と、回収センターに向かった。倉庫の端の巨大な鉄板が、計量台になっ ている。その鉄板の上に車を乗せて、いったん計量したあとで、紙の種類ごとに荷台から獲物を投げ降ろしていく。軽くなった分だけ、回収した古紙の重さというわけだ。
 精算して唖然とした。売上が3千円にも満たないのだ。段ボールは嵩張るので、 見た目ほどには重量がいかない。それで業者が敬遠して、集積ゴミの中に段ボールが残っていたのである。
 2人とも声もなく、悄然と家路に向かった。車のレンタル料やガソリン代を差し引くと、千円も残らない。
「腹、減りましたよねえ」
「じゃあ、何か食っていくか」
 カレー屋の前に車を止めた。そのとき悲劇が起こった。気持が落ち込んでいたからか、キーを差し込んだままドアをロックしてしまったのだ。
 しばし茫然、ようや く気を取り直して周囲を見渡すと、道路の向こうに車の修理工場の看板が目に入っ た。修理工の若い兄ちゃんに、事情を話して来て貰った。手慣れたもので、先端を曲げた細い金属棒を窓ガラスとドアの間に差し込んで、難無くロックを外してくれ た。
「あっ、いくらですか?」
 そのまま帰ろうとする兄ちゃんに、思わず声をかけてしまった。人がいいんですよね。Tさんは渋い顔。
「うーん、じゃあ、千円でも貰っておこうかな」
 それで、その日の稼ぎが消えてしまった。そのあとで食べたカレーは、とりわけ辛く感じられた。


 あれから10年以上の歳月が流れている。私の方は、自由人の生活が1年もたずに、 勤め人の世界に押し流されてしまった。小説で一発当てて、自由人に復帰しようと目論んでいるが、なかなか世の中、思うようには流れてくれない。
 さて、Tさんの方はといえば、未だに勝手気ままな生活を貫いている。ただし、 交通事故の補償金が切れてしまってからは、地元の製本会社の日雇い仕事で、その 日その日の食いぶちを稼いでいる。
「俺もいずれは、あそこで寝るようになるんだろうな」
 この前、駅の構内を一緒に歩いているときに、Tさんが段ボールハウスの住人を 見ながら、しみじみした口調で言った。最近のTさんは、バブルの後遺症の不況で、 仕事からあぶれることが多くなっている。
「それもまた、いいんじゃないですか」
 無責任なことを言った。
「でも、酒が飲めなきゃ、あそこの仲間にも入れないさ」
 段ボールハウスの中では、早くも酒宴が始まっていた。Tさんは、完全無欠の下戸だった。コップ一杯のビールで、電車の中で嘔吐したという武勇伝を持っている。
(じゃあ、俺が遊びに行きますよ)
 胸の中でつぶやいた。段ボールハウスの中で、Tさんと一緒に将棋でも指している姿を思い浮かべた。
(それも、悪くないな)
 半分、本音だった。

Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

◆ 「Tさんのこと」の感想 (掲示板)
合い言葉は「ゆうやけ」


*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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