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「こいつは、どうせすぐに帰る」フランク・ピンがいった。
「聞いてくれ」わたしはさりげない口調でいった。「わたしにはどうしても理解できない」
「なにが?」ピンがいった。
「これまで話を聞いた人間たちはみなきみに好意を持っていたのに、わたしに対してはいつも無愛想だ。わたしはホーグの依頼を受けてきみのために働いているというのに、きみはわたしに対して苛立ちしか示さない」
 彼はいった。「おれはこのやりきれない人生すべてに苛立っているんだ」

 前回が日本の私立探偵、沢崎を取り上げたので、今回は海外の私立探偵モノを紹介しようか。わたしが自信を持ってお薦めするのは、マイケル・Z・リューインのアルバート・サムスンである。しかし、沢崎と同じ40代前半のこのアルおじさん、どうにも冴えないのだ。
 シリーズ5作目の「消えた女」では、のっけから窮地に陥っている。サムスンのオフィス兼住居が入っている建物が取り壊されることになり、立ち退きを求められている。失業と宿無しになるピンチに、手元にあるのは5ドル紙幣一枚と低所得者用の食料クーポンだけ。そのとき、目の覚めるような美人がオフィスに現れる。待望の依頼者にサムスンは、

 とっておきの良き父親兼有能な私立探偵風の微笑の埃をはらい、顔に張りつけた。そして、デスクの上で両腕を組み、身を乗りだした。だが、わたしが『私立探偵になる方法』にあるとおりに力強くそして丁重に話しかけようとしたとき、彼女はたずねた。「本当にこの仕事で生活していらっしゃるの?」

 彼女は依頼人などではなく、私設保育所のための寄付を募りに来たのだった。サムスンは黙ってデスクの引出しを開け、なけなしの5ドル紙幣を彼女に差し出した。一人になったオフィスで、サムスンは自問する。

 四十二歳にもなって、なんのために生活費を支払えるかどうかもわからない状態で毎月をすごしているのだ?
 この仕事で充分な金を稼げないのなら、なぜこの仕事を楽しむことを考えないのだ?
 この仕事から楽しみを味わうことができないなら、なぜほかの仕事につくことを考えないのだ?
 では、わたしにはほかになにができるだろう?
 この仕事さえ満足にできないわたしが?


 そんな八方ふさがりのサムソンにも、ようやく本物の依頼人が現れる。三十歳ぐらいの女性で、失踪した学生時代の友人の行方を捜してほしいというのだ。待望の仕事にありついたサムスンは、張り切ってその失踪した女性、プリシラ・ピンが住んでいた街、ナッシュビルへと向かう。
 サムスンはそこで、プリシラ・ピンが資産家で画廊の経営者であるビリー・ボイドと駆け落ちしたという噂話を耳にする。ビリーは、街でも評判のプレイボーイだった。また、プリシラには、彼女の夫であるフランクの財布から50ドルを盗んだ容疑で逮捕状が出ていた。保安官も単なる駆け落ちだと断定して、二人の捜索には熱心ではなかった。サムスンはしかし、この駆け落ち事件にいくつかの疑問点をみつけ、不審をいだく。
 インディアナポリスの自分のオフィスに戻ったサムスンは、自分の懸念と共に、依頼人に捜査の途中経過を報告する。サムスンは、このまま捜査を継続したいのだが、依頼人の答えはノーだった。
 それから、四ヶ月半の月日が経過した。サムスンにもささやかな幸運が訪れて、どうにかオフィスを移転することができた。そして、新聞を読んでいたサムスンは、ビリー・ボイドが死体で発見されたことを知る。サムスンは、ナッシュビルを再訪する。フランク・ピンが容疑者として身柄を拘束され、失踪した妻のプリシラは依然として行方不明のままだった。
 冒頭で取り上げたシーンは、いったん警察から釈放されたフランクに、サムスンが事情を訊きに行ったときの会話である。サムスンは、フランクの顧問弁護士であるデヴィッド・ホーグに強引に売り込んで、真犯人を捜すために雇ってもらったのだ。
 正式な依頼人を得たサムスンは、精力的に聞き込みを開始する。しかしそれは、ビリー・ボイドに関わった街の住人たちの触れられたくない過去を暴くことでもあった。サムスンは疎まれ嫌悪されながらも、いぶし銀の粘り強さで、誰からも歓迎されない捜査を続けて行く。当のフランクからも、邪険な扱いを受けているのだ。
 いったい何のために、サムスンはこの事件に固執するのか? 金のためではないはずだ。ビリー・ボイドの死を知って、依頼人もいないのにナッシュビルに乗り込んだのだ。デヴィッド・ホーグに売り込んだのは、捜査を続ける口実にすぎない。倫理的な正義感? 確かにそれもあるのだろうが、サムスンの自虐的なセリフや自問を何度も聞かされていると、そんな建前ではないことに気づく。

彼女はわたしの顔をうかがい、その顔には不安の色があらわれた。「大丈夫ですか?」
「ひどく疲れているだけです」
 彼女はいった。「ここのベッドで休んでいってもいいのですよ」
「ありがとう、奥さん」わたしはいった。「ですが、この疲労は眠りでいやすことはできない種類の疲労です」

 サムスンは、自身の内なる衝動に突き動かされて、事件の真相を追い求める。途中で放棄することを、サムスンの“人間性”が許さないのだ。しかし、サムスンは、フィリップ・マーロウや沢崎のようなタフガイではない。

 こんな事件とは関わらなければよかった。貧しい時代遅れの存在として、インフレがとまった段階でペンキを塗りかえる予定の、灰色がかった緑色の暗い政府機関のなかの福祉課のオフィスで失業の説明をしているほうがましだった。どこでもいい、こことはまったく別の場所にいたかった。もっと早く私立探偵などやめてしまって、不正直な商売の道でも勉強しているほうがましだった。

 犯人(?)の銃口を前にして、暴力を嫌悪する心優しきアルおじさん、最後までこんな情けない愚痴をこぼしている。だけど、その本質は、ハードボイルドのナイトとしての精神を、実にまっとうに継承しているのである。サムスンが等身大の冴えないおじさんとして描かれている分、その人間性がよりリアルに、心温まるものとして伝わってくる。
 この、リアルで等身大の主人公を創出しようとする試み、つまり、ハメットのサム・スペードやチャンドラーのフィリップ・マーロウのようなスーパーヒーローからの脱却は、現代のハードボイルド小説の流行(はやり)、いや、ひとつの方向性といってもいい。しかし、これがなかなかうまくいかないのだ。キャラクターに凝りすぎると、かえって作り物めいた違和感を読者に与えてしまう。
 一人称の簡潔な語りに、きめ細かな内面描写。リューインの巧みな筆力が、このアルバート・サムスン・シリーズを成功させた最大の理由だろうか。
 最後に、訳者ついて少し触れておこうか。海外の作品を読んでいると、ときどきギクシャクした表現にぶつかることがある。いわゆる直訳調というやつである。個人の好みもあるのだろうが、とくに娯楽小説でそんな文章を目にするとがっかりしてしまう。これは、訳者の怠慢ではないか。その点、「消えた女」の訳者である石田善彦さんの文章は、できうる限り日本語に咀嚼しようとする意志が読みとれるのだ。翻訳ということを意識しないでスムーズに読める。今回、7作あるサムスンものの中から本書を選んだのも、石田善彦訳ということが理由の一つになっている。

Copyright(c): Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

◆「名文美術館」の感想

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