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 もどってきたピート・ナッシュが、廊下の壁に向かって立っていた。髪が短いので、筋の浮き出た青白くて長いうなじが、後ろからそっくり見える。長身をかがめて、床から指で何かをすくい上げると、その茶色い何かを漆喰になすりつけ、ブロック体の文字で“ようこそ”と綴った。そこで顔料が尽きたらしく、左側に足を踏み出して、また身をかがめ、大便の小さな塊をすくい取ると、元の位 置にもどって、また言葉を書き始め、ついに文を完成させた。“バウマン教授”と。
 ひと仕事終えたナッシュは、橙色をしたジャンプスーツのズボンの裾で両手をぬぐうと、振り向いてバウマンに笑いかけてから、ふたたび廊下の右の方へ姿を消した。行く手に並ぶ監房からは、あいさつの言葉も、話し声も、笑い声も聞こえず、ただナッシュの靴音が響くばかりだった。

 今回、取り上げる作家はアメリカのミッチェル・スミス、曲者である。わたしが知っている限りでは、4つの長編小説が邦訳されている。独断を承知で言わせてもらえれば、2勝2敗の五分。最初に読んだ作品が「沸点の街」だったのは幸運だった。題名通りの心が熱く沸き立つアウトロー・サスペンスで、人物造形の巧みさに脱帽したものだ。
 これは凄い作家を発掘したぞと、意気込んで他の著作に手を伸ばした。次に読んだのは、ミッチェル・スミスのデビュー作である「エリー・クラインの収穫」。これは、アメリカの長編ミステリの悪癖をすべてぶちこんだようなひどい小説だった。くどい、長い、えげつないの三拍子で、途中で読むのが辛くなって、とうとう投げ出してしまった。もし、「エリー・クラインの収穫」の方を先に読んでいたら、この作家の小説は二度と読むことはなかっただろう。
 こんなはずでは……、と半信半疑で読み始めたのが「ストーン・シティ」、いや驚嘆した。小説空間のリアルな迫力と奥行きのある重量感に、最後まで圧倒されっぱなしだった。やっぱり凄いよ! しかし、「エヴァン・スコットの戦争」を読んで、また首を傾げた。「エリー・クライン……」ほどではないが、描写がくどくて退屈なのだ。ちなみに、作品を発表した順番は、「エリー・クラインの収穫」(1987年)、「ストーン・シティ」(1989年)、「エヴァン・スコットの戦争」(1994年)、「沸点の街」(1997年)となる。
 このレベルの落差はいったい何なのか? おそらく、ミッチェル・スミスの傑出した筆力に原因があるのだと思う。ストーリーとうまく噛みあえば無敵なのだが、物語が弱いと腕力で読者をねじ伏せようと力みに力んで、空回りすることになってしまう。エリー・クラインとエヴァン・スコットは、舞台設定や物語が薄っぺらい、と書けば偏見過ぎるか。
 それに比べて、「ストーン・シティ」は舞台設定や物語が超弩級のスケールなのだ。舞台は一つの街ほどの規模を持つ巨大な重警備刑務所。2,000人足らずの凶悪犯が収容されている州立刑務所に、元大学教授のチャールズ・バウマンは服役している。酔っぱらい運転で少女を轢き殺したのだ。所内は社会の過激な縮図だった。
終身刑クラブ、白人同盟、暴走族クラブ、黒い国士軍、メキシコ人グループ、インディアングループが、独自の組織を形成している。
 ただただ平穏無事に刑期を努めて出所したいと望んでいるバウマン教授だったが、トラブルに巻き込まれて、所内で起きた連続殺人事件の捜査を強要されることになる。相棒はリー・カズンズという「娘」。いわゆるゲイの女役なのだが、ミッチェル・スミスが描写すると可憐な少女へと変貌する。

(前略)しばらくすると、ブルーのデニムのズボンと、プレスしたばかりのブルーのデニムのシャツに身を固めた美形の若者は、まるで奇跡のように、少女になって踊り始めた。その姿は、ベティが苦労の末に身につけた女らしさを、たおやかさの面でも、いじらしさの面でも、一途さの面でも凌駕していた。少女になりきっているばかりではなく、アングロサクソンの女がラテン音楽に対して持つ、ほんのわずかな気後れまでも、見事に表現している。

 この「少女」、〈黒い国士軍〉の兵卒7人に強姦されたという過去を持っている。ちなみにベティというのは〈白人同盟〉の幹部であるマーク・ネリスの「妻」で、二人は信仰に目覚めた偽造犯を牧師役にして、結婚式まで挙げている。こうした特異な世界に最初は驚きとまどうのだが、いつの間にか感覚が同化させられて、囚人の視線で読んでいる自分に気づく。
 とにかく、 登場人物のキャラクターが強烈なのだ。バウマンの一番の友人である刑務所図書館司書、ラリー・シューノーヴァは、自分の妻子と母親を絞め殺し、街中で赤ん坊の頭蓋骨にドライバーを打ち込んだという罪状の持ち主だ。いつもは平穏な人間でさえ、うっかり信管に触れれば暴発する危険をはらんでいる。
 そして、冒頭に掲げた一文で登場したピート・ナッシュ、〈終身刑クラブ〉の会長であり〈白人同盟〉の首領を兼ねる男だ。2年前に、クラブの軍法会議で不敬罪を申し渡された会員ふたりを絞殺して、隔離房に収監されている。

「俺はただ、歓迎のあいさつと、ここの汚れっぷりの謝罪がしたかったんだ。これは、一時的なことでね。看守どもに、俺たちが人間だってことを忘れさせないための策略さ。ま、少々ばっちい策略だが」とナッシュは、しゃべり声と同じ甲高いテノールで笑って、「投げつけるものが手近にあるんでね」

 糞尿の猛烈な臭気がただようなか、ナッシュがバウマンの前に姿を現す。看守部長のゴーニーの奸計にはまって「密告屋」に仕立てられそうになったバウマンは、懲罰のため隔離房に送られたのだ。二つ組織の玉座に君臨する闇の王、ナッシュは、バウマンに驚くべきことを提案する……。

 巻末の解説で、この小説がアメリカでペーパーバック化されたときのキャッチコピーが紹介されている。
「あなたは、この小説を読み通せるほどタフですか? 重警備刑務所という閉ざされた非情の空間に踏み入っていけるほど、強い心臓を持っていますか? 世間からはじき出された男たちの恐怖と暴力と孤独と失われた夢を、そっくり受け入れる覚悟がありますか? それなら、どうぞ、この石の都(ストーン・シティ)へいらっしゃい。」
 確かにこの小説は、読むのに覚悟がいる小説である。
とりわけ最後の結末は……。もう一度いわせてほしい。ミッチェル・スミスは、とんでもない曲者である。

Copyright(c): Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

◆「名文美術館」の感想

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