●T-Timeファイル ●バックナンバー ●表紙に戻る


 梶田の両眼から熱いものがあふれてきて、したたった。あわてて袂(たもと)から手巾を取りだしたとき、千加子の眉間にあるのと同じのが三、四片、ひらひらと散りおちた。忘れていた。彼は袂からひとつまみ持ちだした。千加子の胸に、静かに降り散らした。神田明神の桜は、泡雪のように舞い、病人の布団のそこここに貼りついた。千加子の寝顔は、このうえもなくなごんでいて、あたかも楽しい夢の一景を、追っているかのようであった。
 花見の夢にちがいない。梶田は再び三
(み)たび袂をさぐった。

 幼い頃の将来の夢というのは、えてして実現不可能なたわいのないものだが、成長してある程度、社会の仕組みがわかってくると、己(おのれ)の可能性が透けて見えてくる。そうなると、将来の夢も、ぐっと身近なものになってくる。
 わたしが漠然と憧れを抱いていた職業に、「古本屋のおやじ」がある。周りを本に囲まれて過ごせるなんて、なんて幸せな仕事だろう。だったら、普通の本屋でもよさそうなものだが、新刊本だと勝手に読むわけにはいかない。手を付けた時点で、中古品になってしまう。その点、古本なら大丈夫だ。少々味見したところで、商品価値が下がるわけではない。つまり、古本屋の帳場に陣取って、店内の古本を読みながら過ごしている自分の姿を夢想しているのだ。読み終わったら、また陳列棚に戻しておけばいい。
 まったく、都合のいい自分勝手な解釈だ。要するに、根が怠け者に出来ているのだろう。古本屋というのは、商品を正確に値踏みする能力が要求される。それには、膨大な情報を頭の中に入れておかねばならない。日々の勉強が不可欠で、とうてい怠け者に務まる仕事ではない。むろん、商才も必要だ。今では、自分には無理だと自覚している。
 今回の「佃島ふたり書房」は、実際に古本屋を営む作者が、古本屋を題材にした小説である。余談だが、わたしが読んだ本も古本で、表題の装丁の画像を見てもらえばわかるが、相当にくたびれてしまっている。それだけ読まれたという勲章だろうか。
 読む前は、古本屋というイメージから、エッセイ風の渋い内容なのだと勝手に思い込んでいた。読み始めは、その通りだった。梶田郡司という老人が、かつて勤めていた佃島の古本店を訪れる。佃島の渡船の情景や、佃島の歴史や風物が、練達の筆によってしっとりと描出されている。
 冒頭に掲げた一文は、その古本屋「ふたり書房」の主人である千加子が、死の病床に臥して、梶田が見舞いに訪れた場面である。千加子の亡夫と梶田は、無二の親友だった。千加子の梶田に寄せる慕情が、ほのかに描かれている。千加子の娘の澄子は、自分の本当の父親は梶田ではないかと疑っている。そうした世俗をすべて浄化して、死に行く千加子の寝顔はおだやかで美しい……。
 千加子の死後、娘の澄子が古本屋業に本腰を入れる決意をするのだが、さすがに作者の本業だけあって、古本の仕入れや商いの蘊蓄(うんちく)が、内側からの視線で丁寧に描かれている。

「古本屋さんという商いは、よその物売りの数倍、商品に愛情をもたなくてはいけませんよ。店主の本への思い入れの深さが、客を呼ぶんです。客は本の身内ですからね。本を邪けんに扱う店には寄りつかない。それと、売れなくても店は開けること。本が窒息するからね。本は生きものだから。いや本当。ためしに話しかけてごらんなさい。顔が輝きます」

「本も、人間だと思えばよい。いや本は人間なんですよ。ごらんなさい、この本の輝き。光り。私に見いだされて喜んでいる」
(中略)
「本も嬉しいだろうが、私も嬉しい。私はね、見知らぬ同士の、このいっしゅんの出会いが生き甲斐で、市場に出掛けてくるんです。古本屋には、三つの喜びがある。本を仕入れるときと、その本を自分の店の棚に並べているときと、首尾よくその本が売れたときと、この三つです。普通の商売は、このうち二つしか喜びがないんです。わかりますか。商品を飾っているときが喜びなんて、古本屋だけです。(後略)

 こうしたセリフに、古本屋業に対する作者の愛着がたっぷり含まれている。古本への愛情は、文字への愛情でもある。この小説の文章は、一語一句がよく吟味され、磨き上げられている。作者の文字への真摯で熱い思いが、あくまでもさりげなく込められている。

 物語は、途中で梶田の回想に入るのだが、流れは一転して奔流となる。梶田という老人は、郡司という少壮の若者になって、明治、大正の激動の時代を駆けめぐる。古本のセドリ、禁書である思想書、無政府主義者との交歓、その指導者である菅野須賀子への恋情、関東大震災、そして満州へ……。ストーリーテラーの才をも存分に発揮している。さすがに直木賞受賞作である。

 さて、本書を読み終えて、古本屋に対する憧憬はますます強くなったが、自分には無理だとの諦観も深まった。そういえば、かつてはセドリにも憧れていた。語源は背表紙の「背取り」だろうか。古本屋から本を仕入れて、他の業者に売る。骨董品のように、本の目利きで稼ぐのだ。古本屋の上前をはねるのだから、より深い知識が必要になる。しかし、古本の量販店が乱立する今のご時世では、絶滅危惧種の職業だろうか。
 わたしは今、ささやかな望みを心の中であたためている。いつかは、図書館のそばに住もう。できれば、図書館の隣りにアパートを借りて、自分の書庫のように入り浸る。「古本屋のおやじ」に代わる、身近な夢なのである。

Copyright(c): Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

◆「名文美術館」の感想

●バックナンバー ●表紙に戻る