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「われわれが最優先させるべきは、少女たちを無事救出することだと、みんなにはっきり言っておくべきだったと思います」
「なるほど」そう言いながらも、ポターは上の空で、戦いの場となるあたりを見まわした。「だが、実はそれは最優先課題ではないんだ、チャーリー。行動原則ははっきりしている。わたしの任務は犯人を投降させること、投降しない場合には、人質救出班が突入し、武力行使によって相手をねじ伏せるのを支援することだ。人質救出に関しては、最大限努力するつもりだ。だからこそ、現場を仕切るのは、HRTではなくわたしでなければならないんだ。だが、犯人たちは、手錠を掛けられるか、もしくは死体袋に入らないかぎり、あそこから出ることはできん。そのために、人質を犠牲にしなければならないとなれば、犠牲になってもらうしかないんだ。(後略)

 ジェフリー・ディーヴァー、今、アメリカで最も勢いのある作家のひとりである。デンゼル・ワシントン主演で映画化された「ボーン・コレクター」の原作者、と書けば、頷く人も多いだろうか。
 わたしが選んだディーヴァーの一冊は「静寂の叫び」、 FBI 危機管理チームの人質解放交渉の内実を描いたサスペンスだ。高村薫の小説を連想させるほど、細部まで徹底的にリサーチされた描写は、リアルで迫力満点。
 簡単に状況設定を説明しておこうか。聾(ろう)学校の生徒と教員を乗せたスクールバスが、連邦刑務所から脱獄した3人の囚人に乗っ取られた。脱獄囚たちは、堅牢な元食品加工場に人質たちを監禁して立て籠もる。FBI は、老練な人質解放交渉担当者であるアーサー・ポターを派遣する。ポターは、信頼できる仲間を招集して、万全の体制を敷いて犯人たちとの交渉を開始した──。
 冒頭に掲載した一文は、立て籠もり事件の地元、カンザス州警察のチャールズ・R・バッド警部とポターとのやりとり。文中に出てくるHRTとは、FBIの人質救出班の略称だ。
 このポターが明言した優先順位、いかにも合理主義の国らしい論理ではないか。人質の命を尊重するあまり、犯人を逃走させてしまえば、もっと多くの被害者が出る可能性が高くなる。これは、過去の事例を統計学的に研究した結論なのだろう。かくしてポターは、限られた手札の中で、凶悪犯との熾烈な交渉に臨むことになる。
 スタート時点から、窮地に陥っているわけである。人質は聾学校の女生徒8人と女性教師2人の計10人。教師の一人を除いては、みんな聴覚障害者だ。彼女たちを拉致した3人の男たちは、強盗殺人犯にレイプ常習者。とくにリーダー格のルイス・バンディは、頭の切れる残虐な性格破綻者ときている。脱獄時に看守を殺して、逃走中にもアベックを殺害している。投降すれば、電気椅子が待っているだけだ。
 ポターの人物設定がまた凝っている。この小太りの冴えない風采の中年男は、人間味に溢れた博愛主義者なのだ。こんなことを書くと、違和感を覚える人も多いだろう。冒頭に掲げた一文では、「人質を犠牲にしなければならないとなれば、犠牲になってもらうしかないんだ」とポターは冷酷に告げている。この矛盾を、作者はポターの内面の苦悩を細やかに表現することで、巧妙に活用している。いつの間にか読者は、人質解放交渉にはポターのような人物が最適なのだと納得させられてしまうのだ。
  ディーヴァーの仕掛けはこれだけではない。もう一人の主人公ともいうべきメラニー・キャロル、人質になった聾学校の教育実習生なのだが、その聾者であるメラニーとポターの間に、ほのかな恋心まで芽生えさせてしまうのだ。凡庸な書き手なら尻込みするような突飛な設定を、繊細な心理描写で巧みに成立させてしまっている。
 こうして書いていると、ポターのヒューマンな性格やメラニーへの恋愛感情が、人質解放交渉にはマイナスに作用していることに気づく。かくしてポターは精神的にさらに追いこまれて、苦悶することになる。
 こうした主人公を窮地に追いこむという設定は、サスペンス小説では常道である。窮地に追いこめば追いこむほど、それを乗り越えたときの感動は大きくなる。裏を返せば、いかにして主人公を窮地に追いこむかが、成功の鍵を握っているとも言える。 果たしてポターは、この窮地を克服して読者をカタルシスに導いてくれるのか──。卓抜したテクニシャンのディーヴァーがありきたりの結末を選ぶはずはなく、最後に大どんでん返しの大仕掛けが用意されている。

 今回は、書き手の側からの少し意地の悪い観点になってしまった。意地悪ついでにもう一つ。文章があまりに多視点なのには抵抗を覚えた。映画の影響なのだろうか、昨今のアメリカの小説全般に当てはまる傾向だ。その分、描写や説明は細やかで丁寧になっている。
  確かにその方が迫力は出る。登場人物の奥行きも膨らむだろう。しかし、ときにくどく感じるときもあって、サスペンス的な緊張感は薄れてしまう。それに、犯人の視点で描いてしまうと、真相がわかってしまうようなことは書けないわけで、どうしてもアンフェアな印象は拭えない。これは、古き良き時代の、一人称で書かれていた探偵小説への個人的な郷愁なのかもしれないが……。
 最後は、わたしの嗜好的な苦言になってしまったが、この作品が一級の娯楽作品であることは、自信を持って断言できる。小説は、面白くなければ意味がない。

Copyright(c): Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

◆「名文美術館」の感想

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