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「帰ったら、まずなにをするかわかるか?」とパークハーストがわめく。
「なにをするんだ?」
「コニーアイランドへ行くのさ」
「どうして?」
「人間だよ。また人間に会いたいんだ。たくさんの人間に。愚(おろ)かで、汗臭くて、うるさい連中に。アイスクリームと水。海。ビール瓶、牛乳カートン、紙ナプキン――」
「それに女」とヴェッキが目を輝かせていった。「ごぶさただからな、半年ぶりだ。いっしょに行くよ。海岸にすわって、女たちをながめるんだ」


 今回は、アメリカSF界のカリスマ、フィリップ・K・ディックの短編。この作者の名前を知らなくても、映画の「ブレードランナー」を観た方は多いだろう。その映画の原作が、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」なのである。
 フィリップ・K・ディックには、前出の「アンドロイドは……」の他にも、長編の傑作がいくつもある。しかし、わたしの中では、ディックは短編作家なのである。この天才の閃きや超常感覚は、短編でこそより眩く輝くのだと、わたしは頑なに思い込んでいる。その最大の理由が、今回の「探検隊帰る」にある。
 舞台設定を簡単に説明しておこうか。火星探検のために派遣された宇宙船が、長期の任務を終えて、地球に戻ってくる。最初に抜粋した一文は、帰還を目前にした隊員たちの会話である。美しい地球の姿を目にして、子供のようにはしゃいでいる男たちの姿が目に浮かぶ。そして、宇宙船は地球に着陸した。隊員たちは勇躍、ハッチから外に飛び降りた。

「町へむかって」パークハーストが隊長のとなりにおりる。「ひょっとしたら、ただで食事をふるまってくれるかもしれませんね……。そうだ――シャンペンだって!」ぼろぼろの制服の下で彼の胸がふくらんだ。「帰ってきた英雄たち。町の名士ですよ。パレード。軍楽隊。美女が乗った山車(だし)

 期待に胸をふくらませて、火星探検隊の一行は町に入るのだが、彼らを待ち受けていたものは――。驚天動地のどんでん返しが待っているのだが、これから読む人のために、これ以上は語らない方がいいだろう。
 400字詰原稿用紙で40枚にも満たない小品だが、15年以上も前にこの作品を読んだときの衝撃を、今でもはっきり覚えている。それこそ“ぶったまげた”のだ。どうしたら、こんな発想が生まれるのだろうか。小説の持つ奥深さに、そしてその可能性に、それこそ震撼させられた。
 当時のわたしは、薹(とう)の立った文学青年で、純文学にこだわって創作していた。思い返せば、精神の汚物のような作品を臆面もなく書き連ねていたように記憶している。大衆文学は読んで楽しむためのもの、そんな意識がどこかにあったのだと思う。その狭苦しい檻の中から開放してくれたのが、ディックの「探検隊帰る」だった。
「おれは何者なのだろうか?」「おれという人間は、生きている価値があるのだろうか?」、高校生のときに太宰治の「人間失格」に感染して以来、そうした自分自身への不安や問いかけが、わたしの創作の主要テーマだった。「探検隊帰る」には、そうした人間の存在のあやふやさや不安感が、見事なまでに表現されている。
 ジャンルにこだわる必要はないじゃないか、そう思えるようになった。料理法が違うだけのことだ。どうせなら、おいしく食べてもらいたい……、読者の存在を意識したとき、「おれは」から「人間は」に主題が変わったのだと思う。
 わたしの究極の目標は、生涯をかけて、自分の満足できる短編をひとつ、書き遺すことだ。わたしの脳裏の書棚には、幾多の短編の名作が収められている。むろん、「探検隊帰る」もその中に入っている。遙かなる夢だが、少なくとも自分だけは、その可能性を信じている、いや、信じていたいのだ。

 最後に、タイトルバックで使わせていただいた本について、少し説明しておこうか。わたしが「探検隊帰る」を初めて読んだのは、「恐怖の1ダース」というアンソロジー本だった。図書館で借りた本なので、今回の掲載にあたり同じ図書館のパソコンで検索したのだが、すでに蔵書から抹消されていた。その代わりに、ホラーSF傑作選と銘打たれた本書がモニターに表示された。名作は、時代を超えて生き残る。
 ちなみに、表題のタイトルである「影が行く」は、ジョン・カーペンター監督の映画「遊星からの物体X」の原作小説で、作者はジョン・W・キャンベル・ジュニア。ディックの小説を含めて、13編の作品が集められている。
 ホラーSFというありそうでない定義がユニークで、大いに楽しませていただいた。ディックの作品は別格として、ロジャー・ゼラズニイの「吸血機伝説」がわたしのお薦めである。人類が滅亡した機械世界で、吸血鬼ならぬ吸血ロボットが登場する。ホラーSFロマンとでも言うべき異色作で、とりわけ印象に残っている。

Copyright(c): Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

◆「名文美術館」の感想

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