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あたかも自分の心が深く暗い水であって、その底に一艘の船が沈んでいるような感じだった。ただの船ではない──海賊が走らせる快速艇だ。掠奪品と死体を山ほど積みこんだ船が、あまりにも長いあいだその体を休めていた沈泥の上から、いましも動きはじめようとしている。もうすぐ──サムは怯えながら思った──この船は水面 に姿をあらわす。マストからは黒い海草がだらりと垂れ下がり、腐った舵の残骸をいまなお握っているのは、百万ドルの悽愴(せいそう)な笑みを浮かべた骸骨……。

 今回、取り上げる作家はスティーヴン・キング、駄洒落を言うつもりはないのだが、キング・オブ・ホラーの流行作家である。
 最初にことわっておくが、わたしはキングの熱心な読者ではない。正直に白状すると、この「図書館警察」がキングの2冊目の本なのだ。その理由のひとつが映画にある。「キャリー」「ミザりー」「スタンド・バイ・ミー」「シャイニング」「クジョー」「ペットセメタリー」等々、キングの作品の多くが映画化されていて、臆病者のくせにホラー映画好きのわたしは、そのほとんどをスクリーンで観てしまっている。小説でも再読することの少ないわたしは、映画で観た物語を再び活字で読もうという気になれないのだ。
 さて、この「図書館警察」、大の図書館好きのわたしは、まずタイトルに興味を引かれた。図書館警察とはいったい何者だろう? ひょっとしたら……、わたしの予感は当たっていた。

 図書館警察の厄介になるべからず!
 よい子は本の返却日をかならず守りましょう!


 作品の舞台であるジャンクションシティの公立図書館に貼りだしてあるポスターの警告だ。図書館警察は、子供を躾(しつけ)るために大人が作り出した架空の存在なのである。わたしが幼いときにも、「人さらい」や「サーカス」という言葉を何度となく聞かされた記憶がある。「夜遅くまで遊んでいると、人さらいに連れていかれるよ」「言いつけを守れない悪い子は、サーカスに売ってしまうよ」等々。とくに、サーカスという言葉の響きは、わたしの心に強烈な印象を残している。当時のわたしは、サーカス団で曲芸をしている子供たちはみんな、そうして親から売られたんだと信じていた。まるで動物さながらに、子供たちは鞭打たれながら芸を仕込まれているんだと信じ込んでいた。
 さて、この図書館警察を使った“脅し”、アメリカでは今でも相当な効果があるらしい。作品の前に、キングの創作ノートが添付されているのだが、キングの子供が図書館警察を怖がっているエピソードが紹介されている。キング自身も、「子供時分には図書館警察が怖くてたまらなかった」と告白している。その図書館警察が、架空のものではなく本当に存在したとしたら……、かくしてこの物語が誕生した。
 舞台設定を簡単に説明しておこうか。ジャンクションシティで小さな不動産&保険会社を営むサム・ピーブルズは、市のロータリー・クラブで講演会の講師の代役を務めることになった。サムは、臨時秘書のナオミにこの講演の草稿を話して、意見を求めた。ナオミは、スピーチにいろどりを添えるために、講演用のジョーク・ブックや詩集を参考にすることを助言する。そうした本を借りるために、サムは市の公立図書館を訪れたのだが……。
 おやじギャグでもうしわけないが、スティーヴン・キングのことをわたしは内心、“ストーリー・キング”と呼んでいる(ストリーキングとお間違えのないように!)。映画の「ミザりー」や「クジョー」では、その巧妙な舞台設定に、思わず「うまいなあ」とうなってしまった。そのストーリー・テナーの才は、本書でも存分に発揮されている。わたしならば掌編小説が精いっぱいの題材を、ボリュームのある立派なメインディッシュに仕上げている。
 キングの人気の秘密は、卓抜したストーリー・センスの他にもふたつある。そのうちのひとつは、登場人物の厚みだ。一人ひとりの行動や過去を丹念に描くことで、体臭や息づかいまで感じさせるほどに、読者の身近な存在に造形している。あとひとつは、圧倒的な描写力。読んでいて、筆圧というものを意識した。筆勢という言葉では不十分、圧力、ときには圧迫さえ感じてしまう。
 巻頭に掲げた一文が、その好例だろうか。図書館から借りた本を紛失して、図書館警察から追われることになったサムの内面描写である。図書館警察の顔に見覚えがあるのだが、どうしても思い出せない。いや、思い出したくないのだ。その記憶は、サムの子供の頃の忌まわしい体験につながっている。
 本書には、もうひとつ「サン・ドック」というポラロイドカメラを素材にした中編が収載されているのだが、そこでの描写は、さらにこってりと濃密だ。

モリーはこの老人の双眸がじっさいに眼窩から飛びだして自分の体の全面にへばりつき、視神経を引きずったオタマジャクシめいた姿で胸の丘をせっせとのぼってきては、谷間にぬるりと滑りこむように思われて、そうなるときょうの仕事には尼僧服を着てくればよかったと思わずにはいられなくなる。

背中をむけて棚に手を伸ばしていると、むきなおるまでの時間にポップの視線がせわしなくヒップを這いまわり、下にむけられてすばやく足をチェックしたのち、またしてもヒップまで這いあがってきたあげく、行きがけの駄賃とばかりに尻たぶを目でぎゅっとつかむのが感じられるし、ことによると視線で肉をつねられることさえあるからだ。


 これは、ポップという守銭奴の爺さんが、ドラッグストアでポラロイドのフィルムを買う場面の描写である。わたしならば、ほんの数行ですませてしまうシーンだが、キングは延々と8ページ余りのスペースを割いて、モリーのポップに対する嫌悪感を繰り返し執拗に描いている。ちなみにモリーというのはドラッグストアの売り子で、ストーリーの上では、通行人に毛が生えたほどの役割しか担ってはいないのだ。
 若い頃だったらキングの本を夢中になって読んだだろうな──、それが読後の正直な感想である。若い頃は、豚カツでも脂身の多いものを好んで食べていた。年齢とともに、嗜好は確実に変化している。今のわたしには、キングの描写はいささか濃厚すぎるのかもしれない。
 とまれ、本書では、売れっ子作家の底力というものをあらためて思い知らされた。はっきり言って、「図書館警察」も「サン・ドック」も、題材的には一級品とは言い難い。それを魅力ある“商品”に仕上げてしまう腕力こそ、流行作家の必須なのかもしれない。流行作家を目指して挫折したわたしは、そのことを痛切に実感している。
 
 さて、本欄をようやく書き終えた今、わたしは早急に図書館に行かねばならない。本の貸し出し期限をかなり超過してしまった。図書館警察の魔の手が伸びてこないことを祈るばかりだ。

<書籍データ:文芸春秋発行、図書コード ISBN4-16-363340-5>

Copyright(c): Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

◆「名文美術館」の感想

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