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 唐人の陳プン看、天竺の〈オンベラボウ〉、紅毛の〈スッペラポン〉、朝鮮の〈ムチャリクチャリ〉、京男の髭喰そらして、あのおしやんすことわいな、江戸の女の口紅から、いまいましいはつつけ野郎なんど、其詞は違えども、喰て糞して寝て起きて、死んで仕舞ふ命とは知りながら、めったに金を欲しがる人情は、唐も大倭も、昔も今も易(かわる)ことなし。

 エレキテルで有名な、あの平賀源内が風来山人というペンネームで書いた「根南志具佐」という小説の序文の書出し部分です。〈 〉のなかは、本当はそれぞれの国の文字で記述されているのですが、ここではカタカナ表記にしています。
 20代の頃、初めてこの文を読んだとき、少なからぬ衝撃を受けました。
 「なんだこれは?こんなものを、200年以上も前のチョンマゲを結った人が本当に書いたのか?まるで筒井康隆じゃないか」
 夏目漱石が司馬江漢の書いた「春波楼筆記」を読んで「古人に友を得たる心地」と言ったそうですが、まさにそんな感じを受けました。
 自慢じゃないですが、学生の頃、古文の授業から立派に落ちこぼれていた私にとって、源内の文章を100パーセント理解することは残念ながら不可能ですが、学術的な解釈などを越えて、音として、リズムとして、200年の時を飛び越えて訴えかけてくるナニカを強く感じずにはいられませんでした。

 ストーリーは、ひょんなことから当時の人気女形・菊の丞に惚れ込んだ地獄の閻魔大王が、彼と一夜をともにしてみたいという願いから、菊の丞を冥界に拉致するための工作員を現世に送り込むという、ドタバタ系ファンタジーとでもいうものです。もっとも、ストーリーそのものよりも、源内得意の諷刺の効いた語り口で当時の風俗などを生き生きと描写しているあたりが読みどころになっているかと思います。
 次に引用するのは、巻の四の冒頭部分で、当時の江戸・両国橋界隈を描写した、名文の評判もある文章の一部です。

 剣術者の身のひねり、六尺の腰のすはり、座頭の鼻哥、御用達のつぎ上下、浪人の破袴、隠居の十徳姿、役者ののらつき、職人の小いそがしき、仕事師のはけの長さ、百姓の鬢のそそけし、蒭尭(すうぎやう)の者も行き薙莵(ちと)の者も来る、さまざまの風俗、色々の顔つき、押しわけられぬ人群集は、諸国の人家を空して来るかと思はれ、ごみほこりの空に満つるは、世界の雲も此処より生ずる心地ぞせらる。

 どうでしょう。かなり長い文章の一部分なので、これだけでは雰囲気が伝わらないかもしれませんが、全文を読むと、なんというか、正確な縮尺で再現された江戸・両国橋のミニチュアのジオラマを、双眼鏡を使って覗き込んできるような不思議な感覚に捕らわれます。
 源内は、井原西鶴や近松門左衛門よりはあとの人ですが、山東京伝・滝沢馬琴などの江戸の人気作家たちよりは少し先輩になります。そういう意味で、小説の世界でも彼は少し先をいっていたという評価をされているようです。一般的にはエレキテルなどのカラクリ細工や博物学者として知られる源内ですが、まったくとんでもないマルチタレントだったんですね。
 ただし、当然誰もが先人の影響を受けているもので、源内に関して言うと、増穂残口の影響が指摘されています。増穂残口は、神道布教のための大衆向け読み物を書いた人です。街頭演説の台本という性格もあるため、畳み込むような強い口調で儒教や仏教を批判したり、大衆になじみのある風俗をうまく取り込んだりといった作風が源内に受け継がれているようです。先に引用した両国橋の描写は、残口の代表作「艶道通鑑」の四季の段の影響が強く感じられるという指摘もあります。

 もっとも、現在この平賀源内の著作に触れようと思っても、私が10数年前に古書店で入手した岩波書店の「日本古典文学大系・55巻 風来山人集」は既に絶版なようですし、「青空文庫」等の著作権フリーの電子テキスト化も2003年3月現在まだされていないようです。
 ちなみに、「青空文庫」さんのホームページの「運営についてー直面した問題」のなかの「1.校訂者の権利について」及び「4.『圓朝全集』は誰のものか」という項目に、古典を著作権フリー電子テキスト化する際の問題点が記述されています。原典となるテキストの著作権はとっくの昔に消滅しているわけですが、ここで校訂者の著作権をどう扱うかという難しい問題が出てくるようです。興味のあるかたは是非ご一読下さい。
 とにかく、現時点で源内の著作に直接触れようと思ったら、大きめの図書館にでも行くしかなさそうです。もっとも、現代語訳することにより校訂者の著作権問題を回避できるという立場をとっている方も多く、ネット上には、古典の出版物を底本とした現代語訳などもいくつか公開されているようです。「根南志具佐」に関していうと、98年に、唐沢俊一さんが「トンデモ美少年の世界」のなかで「超訳・根南志具佐」として扱っていたらしいですが、私は未読です。私のホームページで「根南志具佐・自序」の現代語訳を公開していますので、興味のある方はご覧下さい。
 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/3931/

 また、源内以外の山東京伝などの江戸期の作家の著作も豪華本などでしか流通していないようですので、一般の読者にとっては気軽に読めるという状態ではないように思います。私自身、日常生活では小説を読むよりも漫画やポピュラー音楽に触れている時間のほうが長い、いわゆる、映像・音楽中心のサブカルチャー世代に属してます。なので、エラそうなことは全然言えないのですが、日本人として、これらの非主流の古典も大事にしたいなあと思います。いわゆる主流の古典は学校の授業などでも教えるのでしょうが、江戸期の黄表紙やら読本というのは、いってみれば現代の漫画やテレビドラマなんかに相当するものでしょうから、結構忘れ去られているものが多いように思います。
 まあしかし、私自身、この手の本を読むよりは、レンタルビデオ屋に行くほうがはるかに気軽だと思いますし、こういった本を文庫などで出版しても採算がとれないんでしょうね。
 経済のグローバル化が否応なく進み続けるこの21世紀の現代、あえて江戸時代のサブカルチャーのなかに日本のオリジナリティーを再発見する読書に、あなたもトライしてみませんか?

(注) 引用部分の原文にある旧漢字・繰り返し記号等は、ここでは、電子文書で扱いやすい漢字あるいはひらがな等に置き換えてありますことをご了承下さい。

Copyright(c): Goro Monogusa 著作:模ノ草 五郎

◆「名文美術館」の感想

*模ノ草さんは「改心した市場主義者はサイケデリックな農民をめざす」(文芸&アート1 リンク)というサイトを運営されています。


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