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文学の世界に入っていくのに、子供なんか、邪魔ッ気だと、思っていた。その上、私は貧乏で、子供を育てていく自信も、なかった。


 『娘と私』の作者、獅子文六は、戦前・戦中・戦後を生きた流行作家だ。(「流行」というには異論もあるだろうが、やたらと句点の多い軽い文体といい、展開のテンポの早さといい、発表の場が女性雑誌中心だったことといい、私は、流行作家と呼んでさしつかえないと思う。)ここに取り上げた『娘と私』を含め、『自由学校』、『胡椒息子』、『大番(続編・続々編・完結編)』など、30以上の作品が映画化されている。また、彼は、今ならコピーライターも真っ青という程の、流行語づくりの名人だ。「とんでもハップン」、「やっさもっさ」、「いかれポンチ」などは彼の作品をきっかけに流行(はや)った言葉だし、これまた大流行した『てんやわんや』は、漫才コンビ「獅子てんや・瀬戸わんや」が、芸名としても使ったほどだ。
 今は、太宰治は知っていても、獅子文六って誰? という人がいるが(2年前の私のことだ)、当時の彼は売れに売れた、と言っていいだろう。だが、誰もがそうであるように、最初から売れると決まっていたわけではない。30歳を過ぎてから、彼は小説家になる決心をし、小説で食っていけるという保証など無いまま、『飛込台から、ダイビングする』ように『眼を閉じ』て『文学の世界に入って』いったのだ。
 作品『娘と私』は、そんな彼が、小説家になるまでの(そして、小説家として生き続けるための)、ジレンマと、焦りと、もがきの半生記だ。実話である。彼の作品中、唯一の私小説である。作者自身のあとがきに、こうある……『この作品で、私(作者・獅子文六)は、わが身辺に起きた事実を、そのままに書いた』。
 小説家なる前の彼は、演劇方面の批評家として名は知られていたが、実生活ではカネ無し、コネ無し、暇アリ、という……まるで失業保険で暮らしながら小説賞に応募している私の知人のような暮らしだったようだ。

(文筆家として)世の中へ出ていく意気込みだった。といって、私には、何一つ、仕事のアテはなく、生活費は、父の遺産の最後であった地所を売り、その金で居食いをしていた。しかし、私は元気で、頼まれもしない翻訳を、日課のように、毎日続け、そのうち道が開けるだろうということを、なんとなく信じていた。

 だが、何となく書いていられるうちは、まだ幸せだ。ここに、重量級のやっかいものが登場してくる。それが、娘の「麻理」だ。母親は娘を生んだ後、病気になり、やがて死ぬ。だから、男手ひとつで育てなければいけない。しかもこの娘が、病弱で、手がかかる。書く時間が取られる。気持ちを集中させる余裕もない。貯金は減って行く。さらに、最悪なのは、彼が、娘を、深く愛してしまっていることだ。

私は、結婚を悔い、子を持ったことを悔い、髪を毟りたいくらいだった。父親というものは、子供のために、すべてを献げる用意を持ってはいなかった。私が、麻理のために、それだけ犠牲を払ってるのは、ただ、愛情に引っ張られるからで、本意ではなかった。父親は、事業を愛すると共に、子供を愛したいのである。事業と妻子と、どっちが大切かということは、男にとって、問題にならない。それは、別な所から出る愛であるが、ただ、同様に、深いのである。

 娘と仕事(彼の場合は、小説家になること)、サア、こちらを立てればあちらが立たず。どうする、どうする。日本の小説家は、たいていここらへんでヤケを起こす。酒に逃げたり、愛人と逃げたり、「火宅の人」となってお膳を引っくり返す。獅子文六は逆だ。結婚する。『家事と育児の適任者』を求めて見合いし、奥さんとなる人に、1) 娘を健全に育ててもらい、2) その分空いた時間で自分は執筆する、という、一石二鳥の策を実行する。そうして見つけたのが「千鶴子」である。(実際は「静子」夫人らしいが、作中では「千鶴子」になっている。)

銀行の預金残高は、千円あるかなしで、是が非でも、私は、原稿を書き得る生活と、原稿を売る道を、拓かなければならなかった。私は、結婚の翌日から、机に対って、仕事をしなければならないし、そうできるように、千鶴子は、私を助けてくれなければならなかった。それが、逆になるとしたら、私は、勿論、結婚なぞする必要はなかった。

 いやあ、結婚まで、仕事のために利用する、この執念。何としても「書く」と決めている。それで食っていくと決めている。で、この結婚がうまく行ったか、と言うと、最初はそう見えた。麻理は継母の千鶴子になついた。だが、『半年目』にして、当の文六が不満になって来た。『いやな女だな。こんな、女だったのか。』と、アラがいろいろと見えて来たのだ。そしてついに、離婚を考えるまでになる。
 しかし、ここで離婚を思い止まらせる原因となったものがある。やはり、仕事なのである。小説家として生きる、という決意だ。まったくこの人は、「小説家として生きる」ために、生きているようなものだ。

今家庭を破壊すれば、せっかく、芽を吹き出した分筆の仕事も、根こそぎになるという心配もあった。とにかく、今は、ジッと辛抱して、生活の根を固めねばならないという打算が、私の腹の底にあった。

 この後に、処女長編が当たるわけだが、一気に人気作家への階段を駆け上がったわけでは、決してない。

一部の世評はよくても、それが、作家の生活に響いてくるには、なかなか、時間を要するのである。処女作が成功すると、一躍、流行作家になるように、考えていたが、事実は、決して、そんな簡単なものではなかった。私の初登場は、かなり、ハナバナしかったと、後に、人にいわれたが、それにしても、なお、その長編を書き終わるまで、どこからも、原稿の依頼はなかった。私の収入は、毎月、キチンと、九十円前後しかなかった。それが、長編一回の原稿料だった。

 家計が黒字に転じたのは、第三作目の長編『楽天公子』を書き終え、それが映画になったあたりからだ、と書いてある。
 ところで、これでは千鶴子(静子)夫人が可哀想だ、という声が聞こえてきそうだ。愛のない結婚、仕事のために利用された女……そういう見方もできる。だが、始まりはそうだった結婚が、だんだん変ってくるのが、また面白いところ。激しく燃える愛ではない。炭火のようにジンワリと、いつまでも燃え続ける愛が生まれるのだ。実際、題名は『娘と〜』だが、私が最も感動したのは娘とのことでなく、夫人が脳溢血で死んだ直後、著者が彼女の額に唇を当て、『さよなら。長く、ありがとう。〜おれだって、そう長くは、生きていないよ』と言う場面だった。
 私は、獅子文六を偉いと思う。自分の目標と家庭を、両立させようとした所が偉い。家庭は重荷。妻も娘も、仕事の足をひっぱるやっかいものになる。だが、それを放りださず、背負い続けたまま目標まで登り切ったところが、大したもの。そして、その詳細が、まったく素直に、良いも悪いも隠さずに書いてあるところに、この作品『娘と私』の美しさがある。

参考文献:新潮文庫『娘と私』(上/下巻)獅子文六 著

Copyright(c): Reiji Hoshino 著作:星野 礼司

◆「名文美術館・第37回」の感想

*星野さんは、Online小説レビューページ「ポーラスター」(文芸&アート1 リンク)で、数多くのOnline小説を紹介されています。

 


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