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 五百メートルほど先にそびえたつ雷吼樹は、いちばん高いプロメテウス樹の、さらに一倍半の高さがあった。その樹冠付近にふくらむ、特徴的なタマネギ型のドーム──あれは蓄電瘤だ。その上で放射状に四方へ伸びだす枝からは、何十本もの蔦が毫光のように垂れ下がり、その一本一本が、緑がかった群青色の晴天を背に、銀色の金属光沢をはなっている。その全体像には、ニューメッカのハイ・ムスリムの優雅なモスクを思わせるところがあった。

 わたしのような重度の活字ジャンキーにとっては、この本の分厚さがとにかく嬉しい。最近になって、「ハイペリオン」の文庫本が早川書房よりリリースされたが、1994年に出されたハードカバー版は厚さが36ミリ、その続編の「ハイペリオンの没落」にいたっては、厚さが39ミリもある。2冊合わせると枕にちょうどいい……、いや、まだまだ。「エンディミリオン」「エンディミリオンの覚醒」と超重量 級のシリーズ作品があとに控えている。全4部作、これでは枕が高すぎて寝違えてしまう? 心配ご無用、寝る間が惜しくなるほどに(実際、わたしも寝不足になってしまったのだが)、このシリーズは面 白いのです。巻末の訳者の後書きを引用させてもらおうか。

……その続編をも訳し終えたいま、訳者にとってはなんの不満もないどころか、これだ、SFってのはこれだったんだよォと感涙にむせびつつ、こんな傑作を訳す機会に恵まれた興奮を噛みしめているところだ。よくもまあ、こんあ超絶的プロットを……設定を生かしつくした疾風怒濤の大展開を……いやはや、これには掛け値なしに腰を抜かした。(酒井昭伸)

 手前味噌だと疑う事なかれ。全4作を読了したわたしが、その通 りだと心から同意できるのだ。自分でも小説を書くようになって、つくづく本の読み方が辛辣になったと思う。同業者として、あら探しをしている自分が常にいる。このシリーズ作品は、そんな姑息な嫉妬心をも忘れさせるほどに、圧倒的なスケール、描写 力を有している。とくに、第1作の「ハイペリオン」は、20世紀を代表するSF小説の傑作だとわたしは信じる。
 読んでいるときの興奮がよみがえって、少しハイテンションになりすぎたようだ。気を静めて、作品の概略をざっと説明しておこうか。時代は28世紀、人類は宇宙に進出し、二百にのぼる惑星を転移網で結び連邦を形成している。その辺境に位 置する惑星ハイペリオン、この星には謎の遺跡〈時間の墓標〉があり、時を超越した怪物シュライクが、人々の畏敬と信仰を集めていた。
 その〈時間の墓標〉に異変が起こった。囚われの身であるはずのシュライクが、頻繁に姿を現すようになったのだ。〈時間の墓標〉が完全に開いてしまえば、残虐な悪鬼シュライクが解き放たれてしまう。おりしも宇宙の蛮族アウスターがハイペリオンに侵攻を開始、その手に落ちるまでに、〈時間の墓標〉の謎を解明できるか否かに、連邦全体の命運がかかっている。かくして、ハオペリオンと因縁深い七人の男女が、シュライク教団の巡礼として派遣された──。
「ハイペリオン」は、その巡礼たちが〈時の墓標〉を目指す道程で、それそれが自身の過去を語る六つの物語が、大きな柱として挿入されている。巡礼は七人、一つ足りないのではないかという声が聞こえてきそうだが、巡礼の一人は生後数週間の幼児なのだ。同じ巡礼に参加している父親の物語の中に登場している。
 
その幼児のかかっている病が時間遡行症、つまり、時間とともに年齢がどんどん逆行してしまう。このまま時間が経過すれば、その幼児は消滅してしまう運命にある。そして、その病気の謎を解く鍵も〈時間の墓標〉にある……、心憎い設定ではないか。時間的なリミットを設けることで、全体の緊迫感を高めている。
 さて、冒頭に掲げた一文は、第一章の「司祭の物語」の中に出てくる。燃え立つ炎精林を目前にしたときの光景だ。雷吼樹、プロメテウス樹、蓄電瘤……、こうした細部の設定や描写 が、また実に巧妙に仕上がっている。超絶的なプロットに、独創的で魅惑的なオブジェの数々、それを存分に描出したタフで精密な筆力。SFの枠を越えて、「ハイペリオン」には小説の魅力がすべて込められている。
 このシリーズをまだ読んでいない人は、幸せである。あの本の分厚さだけ、至福の一時を過ごすことができるのだ。しかし、あえて一つだけアドバイスしようか。「ハイペリオン」を読み終えたあとで、しばらく間を空けることをお勧めする。「ハオペリオンの没落」を読む前に、その神秘的な余韻に浸ってほしいのだ。
「ハイペリオン」は序章である。読者は、巨大な六本の柱の周囲を案内されただけで、建物の中にはまだ招待されていない。見上げれば、その絢爛豪華な柱は雲を突き抜けて、遙か天上にそびえ立っている。まさに、神々の領域まで到達せんばかりに──。
「ハイペリオンの没落」以降で、すべての謎は明らかになる。疾風怒濤の活劇で、それはそれで期待通 りのすばらしい出来なのだが、高所から全体像を俯瞰すると、一抹の物足りなさを覚えてしまう。「ハイペリオン」のイメージが、あまりに巨大すぎたからだろうか。あるいは、小説という表現形態の限界なのかもしれない。
 それにしても、読者というのは欲深いものだ。

Copyright(c): Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

◆「名文美術館」の感想

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