私のようにつくられ、私のようにできあがってしまったものは、いかなる時代、いかなる地においても、結局、今、私が送っているような生活、今、私が居るような場所についたに違いないのだが、ここに私が来るまでの過程で、私を原因として不幸になる人々を極少化(両親はしかたあるまい)し得たことを、私は心ひそかに誇ってもいいのではないか。こんなふうに考えてみるのだ。あるいは、こんなふうに考えようと努めてみるのだ。私は、私に見合った生活に辿りついている。これには何の不足も過剰もなく、何の不満を抱くいわれもないのだ。 上記の言葉を、それなりの生活を送っている一般市民が、平凡だが平穏な人生を振り返って、ある種の諦観を込めて語っているのなら、なるほどと頷けるだろう。しかし、本のタイトルからもわかるように、作者は日雇い労働者の街、山谷、ドヤ街の住人である。ベッドハウスと呼ばれる簡易旅館で、カーテンで仕切られた一畳ほどの部屋で暮らしている。五十歳を越えて仕事からあぶれることの多くなった作者は、さして遠くない将来、自分がホームレスになることを覚悟している。唯一の希望は、老齢を迎え(ることができ)たときの生活保護。それでも、作者はしみじみ述懐している。 釜ヶ崎や山谷というような社会的場所がなければ私はどうなっていただろうと思うとゾッとする(つまり逆に言うと、釜ヶ崎や山谷での生活は私にはゾッとするものとして感じられていない)。他人と継続的な人間関係をもてないということは、継続的な職業生活を営めないということであり、社会主義国では間違いなく精神病院送りだったであろう。 作者は釜ヶ崎で三年、山谷で十二年、計十五年間の労務者生活を送っている。会社員として働いたこともあるのだが、長続きしない。「集団生活に対する深刻な忌避感と恐怖感から逃れるべく」、過剰に適応しようとしてしまう。常に全力疾走しているようなもので、身体も精神も疲労困憊して、いずれはポキリと折れてしまう。 何度もこの過程を繰り返し続けた私は、最終的に山谷に来る頃には、このように結論づけるようになっていた。「つまるところ、私は人生に向いていない人間なのだ」と。 山谷で心の安らぎを得た作者が、淡々とした筆致で日常生活を描写しているのだが、我々のような一般 人には、相当に過酷なものに感じられる。カーテンに仕切られただけの小部屋は、臭いや音が容赦なく侵入してくる。プライバシーが保てないばかりでなく、無防備でもある。実際、傷害事件にも出くわしている。 ドヤのベッドハウスでの同部屋の人との親密なつきあいは、多くの場合災厄に終わる。もちろん例外はあるだろうが、これはかなり確実な経験則のように私には思われる。ドヤのベッドハウスにおける、互いに近接した中での人とのつきあいでは、ほんの僅かな不協和音も、距離による消滅に到らないため、どこまでも膨らんでいかざるを得ないのである。 これは、他の山谷の住人に対しても同様で、仕事場で一緒になって顔見知りになっても、街中で出会ったときは無視して挨拶もしない。他人と関係を持たないことが、山谷で生きていくための経験則なのである。作者は、山谷の住人に対して、「無知と卑屈と傲慢の三位
一体を体現したような人々」だと切って捨てている。ごく一部の例外的な人物との交流が興味深く書かれているのだが、互いに相手の心に踏み入ることを避けている。 人々の視線の中の自分が本来の自分なのだ。人々に思われているような自分に内心の自分を近づけていくことが、山谷での私の生活術であり続けてきたが、山谷でさらに年齢を加えていかなければならぬ
私にとって、この生活術に磨きをかけていく以外に生きる方策が残っているわけはないのである。
<書籍データ:TBSブリタニカ発行、図書コード
ISBN4-484-00210-8> ◆
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