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「死にたい…」

あたしに彼女はそう電話をかけてきた。
彼女はあたしの後輩。
でももうずいぶん前からとても大切な友達。
友達というよりは姉妹みたいな感じで、
あたしは彼女の家に入り浸っていたし、
彼女の家族とも仲良かったし、
彼女といる時間がものすごく心地よかった。
結婚してから、
前ほどは一緒にいれなくなったけど。

彼女が口にした言葉の意味、
ちょっとだけ分かるような気がして、
とにかくあたしは話を聞いてみた。

「あたし、また死のうとしてるの。
 どうしていいか分からない。
 睡眠薬がここにあって、
 飲もうとするんだけど本当は死にたくない。
 どうしていいか分からない。」

そんな電話を、あたしにしてきたのは初めて。
びっくりした。

彼女は去年、中絶をした。
それから、あたしにも急に連絡をくれなくなった。
彼女の家に電話をしても、
ほとんどいないと言われるか、眠っているか。
たまに電話に出ても用事があるからとすぐ切られた。
だけどあたしにとって、
彼女は一番大事な友達だと思う。

彼女はこうあたしに言った。
「ものすごく赤ちゃんが大事だった。
産みたいって思った。
だけど、いろんなことを考えると産めなかった。
産めたユウカちゃんはすごいよ。
ほんとは手術してる最中もやめてって言いたかった。
でも声は出なかった。
だけど、中絶してから後悔の気持ちばっかりで、
どうしようもないくらいにあたしを責める。
こんなあたし、生きてていいのかな。
赤ちゃんの命捨ててまで生きてていいのかな。」

彼女は自殺未遂を何度も繰り返していると、あたしに言った。
何度も何度も薬を飲む。
だけど、それだけじゃ死ねないことを知っていると。
目が覚めたときに病院のベッドにいて、
またどうしようもない絶望感におそわれてしまうと。

彼女が自分を責めたてる気持ち、分かるような気がする。
そう、分かるような気がする。

あたしだって、
一度は中絶を考え、出産を決意したのだから。

あたしの場合と彼女の場合は違う。
あたしの場合は、旦那に経済力があった。
安定できる生活がそこには保証されてた。
だけど彼女は違った。
彼女の彼には経済力はなかった。
それだけでも、将来への不安が彼女をどれだけ悩ませたか。
例え産むとして、
彼女は出産費用すら悩まなくてはいけない状況。
その後の生活、不景気だと言われる中で、
彼は就職先を探さなくてはいけない。
新入社員で家族を養えるほど稼げるか。
どうだろう。
それだけでも彼女を不安に陥らせるには十分な要素だった。
それだけの違いかもしれないけど、
あたしが子供を産めた理由はそこにあるんだと思う。

本気で産もうと思えたのならば。
そんな経済的事情なんてどうでも良かったかもしれない。
どんなことをしてでも、産んでやろう。
どんな苦労をしても、大切に育ててやろう。
どんな貧乏をしても、たくさんの愛情をこめてやろう。
そんな風に思えることができたのならば、
きっと彼女は中絶なんて選ぶことはなかっただろう。

だけど、彼女は15歳だった。
出産を決意するために、
犠牲にしなくちゃいけないものがありすぎたような気がする。
まして、彼女はあたしをよく知っている。
子供を産んで手に入れた幸せはめちゃめちゃでかい。
だけど、同時に手にした苦労はたくさんある。
自由、時間、友達、夢…。
何もかもが同年代の友達とはペースが違う。
それをふまえた上で、
彼女が出産するのならば付きまとうもの。
「経済力のない生活」

彼女はあたしの大切な親友だからかもしれない。
彼女はあたしにとって妹のような存在だからかもしれない。
彼女を非難する気持ちには全然なれない。
彼女の行動が世界中の人に批難されることであっても、
きっとあたしは彼女をかばい続けると思う。

彼女を追い立てるもの、
もうひとつだけどうしても触れておきたい。
彼が彼女にこう言った。
「俺は産みたいなら産んでもいいと言っただろ。
中絶を決めたのはお前自身なんだ。
後悔なんかするなよ、泣くなよ。」
彼女はこう言われるたびに、
どんどん自分を追い込む状況になってしまう。
彼女に子供を本当に産んで欲しいと思った男が言える言葉なのか?
あたしは疑問に思う。
例えば彼がそれなりの経済力があって、
いや、例え経済力がなかったとしても、
必死にどんな仕事であっても働いて、
彼女と産まれる子供の生活を安心させてあげられるほどの保証、
いや、例え保証がなくても、
それだけの態度や言葉を彼女に示していたのなら、
彼女の出す答えは違っていたかもしれないじゃないか。
男として、
彼女を責めたてるのならその条件はクリアするべきだと思うのは、
あたしだけなのでしょうか。

後悔するくらいなら中絶なんかするな、
中絶するくらいなら妊娠するな、
妊娠するくらいならセックスなんかするな、
間違いない、
そうかもしれない。
だけど状況は
セックスしてしまった、
妊娠してしまった、
中絶してしまった、
後悔してしまった、
それには変わりないんだ。
だけど、あたしはどうしても思う。
中絶なんかなんでもないと繰り返す人がいて、
生まれてきてもゴミのように捨てられる新生児がいて、
生まれてきても虐待される乳幼児がいて、
生まれたからと言ってすべてが幸せになれるわけではない世の中。
彼女は中絶ということを選んだけど、
お腹の中にいた赤ちゃんの存在を忘れないで、
彼女が赤ちゃんの為に流した涙で、
自分を苦しめてまでごめんねと思い続けて、
あたしはそれだけでも十分赤ちゃんは報われたと思います。

そして、この一件で。

彼女を批難するつもりはまったくないし、
中絶を否定する気持ちは最初からないけれど。

産むことがすべて正しいとは、本当に思えなくなりました。
例えば、彼女が出産の道を選んだとして。
今の彼女は自分で中絶を決めたのに、
いつまでもそれを自分の中で消化できず自分を責め続けている。
そんな彼女が、
小さな命の長い人生を背負って生きていけるでしょうか。
もしかしたら、
出産を経験することによって、女性は何かが変わるのかもしれない。
現にあたしもそうだと思うから。

中絶が軽視されているとよく耳にします。
そして中絶を経験した人の中には、
彼女のように自分を責め続けてしまう人もいる、
あっけらかんと同じことを繰り返す人もいる、
手術で傷ついてしまった子宮に事の重大さを知る人もいる。

小さくても命。
それをどんな理由があるにせよ、
中絶という形を選択するのならば、
それなりに腹をくくって生きるべきだと思う。

産んであげられなかった自分を責めることではなく、
忘れないであげることが償いだと思う。
時々思い出してあげることが償いだと思う。

◆「中絶を選んだ彼女」の感想

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*ユウカさんの「結婚ヲシタアタシ」が 文華別館 に収録されています。
*ユウカさんは「MOON-NIGHT」(文芸&アート リンク)というエッセイや詩の個人サイトを運営されています。
*タイトルバックに、パンチヤマダ の素材を使用させていただきました。


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