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 3月は忙しかった……、毎月、同じようなことを書いているのだが(苦笑)、3月はとくに忙しかった。ミニコミ誌をどうにか発行できたと思ったら、すぐに確定申告が待っている。いつもは市役所ですませているのだが、昨年は不労所得がいくらかあったので、税務署に行ってくれという。資料もいささか手直ししたので二度手間である。
 そして……、ずっと気になっていたことがあった。近所に「楽笑座」という場所があるのだが、古い蔵造りの建物を改装して、今は休憩所として利用している。最初は飲食店を誘致して、民芸居酒屋としてけっこう繁盛していたのだが、何度かトラブルがあったようで、いつの間にか閉店、このあたりはやはり「お役所仕事」である。自分の懐が痛まないので、詰めが甘いし努力もしない。
 映画の上映機器を導入して、ミニシアターとして映画会を開催していたこともあるようなのだが、どんな映画を選ぶかでひと悶着あったようで、話題の映画を上映するだけの資金もなく、観客も先細りで自然消滅した。
 蔵造りの風情ある建物なのだが、その活用では頭を悩ませている。その楽笑座で不定期に開催されているのが「しょうばら蔵ゼミin楽笑座」。街中で活躍している人を講師に呼んで、話をしてもらおうという企画、らしい。一度も参加したことがなかったので、詳しいことはわからない。
 で、その講師になってもらえないかという話がきた。即座に断った。週末の土日にも店を開けているので、店を休むわけにはいかない。たいがいはそれでわかってもらえる。イベントが開催されるのは、集客が見込める週末だからだ。
 じゃあ、定休日の月曜日か火曜日でいですからと言われて、わたしの方が狼狽した。人前で話すのは苦手だからと逃げたが、上手に話す必要なないですからと粘られる。結局、一人でしゃべるのではなく、みんなで話し合う座談形式ならということで話がまとまった。
 しかし、あとで冷静になって考えると、座談形式といっても、何を話し合うんだ? 都合の良い質問をしてもらえれば議論にもなろうが、誰も手を挙げなければ、座が白けるのは目に見えている。持ち時間は90分もあるのだ。ある程度の時間は、自分で話をするしかない。デタラメな物語を書くのは慣れているが、いったい自分の何を語ればいいのか……。
「回覧板を見ましたよ」、来店者から声をかけられるようになった。蔵ゼミの告知が回覧板で回っているらしい。うちにも回覧板は来ているが、ほとんど見ないでスルーしている。「楽しみにしてますから」と言われて、「大した話もできないですから、期待はしないでください」と答えた。本音は、「来なくてもいいです」。恥をかくときはできるだけ少人数の方がいい。根っからの小心者なのである。
 前日には、知り合いの新聞記者が来て、「明日は取材に行きますから、よろしくお願いします」、やれやれだ。朝からは、電話の光回線の端末から、蔵ゼミのPRがガンガン流されていたらしい。うちは、耳障りなので端末の音量をゼロにしている。それでも防災などの緊急連絡では、でかい声で告知が流れることになっている。
 で、結果はというと、講演はなんとか無事に終了した。ある程度の台本を用意していたのだが、それを読み上げることもなく、落ち着いて話をすることができた。たぶん、緊張することに疲れてしまったのだと思う。一週間ぐらい前が緊張感のピークで、それ以降は神経が麻痺してしまったかのように不安が消えた。開き直り……、なのだろう。
 逆の立場、つまり参加者の立場で考えてみたことがある。流暢な弁舌で理路整然としゃべる人の話が好感を得るとは限らないではないか。それよりも、たどたどしくても一生懸命、自分の気持を素直に語る方が、相手の心に届くのではないか。
 良い経験をさせてもらった。しかし、自分のことを話すのはやはり苦手だ。聞き役の方が向いている。話術のない人間が人前で話をするのは、裸で立っているような恥ずかしさを覚えるのである。

Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋


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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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