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 同仁病院に入院している母親が無事、令和の時代を迎えることができた。大正十五年生まれなので、これで四つ目の元号。四月で年が一つ増えて、九十三歳になった。
 毎日のように枕元で、もう少しで新しい元号になるから頑張ろうね、と声をかけていたものだから、その反動がきたのだろうか、風邪で体調を崩した。熱が出て、声がしわがれて喉が痛いので、食事を摂ることができなくなった。高齢なので、衰弱した姿が痛々しい。
 自宅で介護していた時だったら、病院に連れて行くべきかどうかで右往左往していたと思う。寝たきりなので、外出の支度をするだけでも大仕事、それだけで乏しい体力を消耗してしまう。 介護専門の病院なので、スタッフに任せておけばいいという安心感はあるのだが、あれこれと悪いことを想像してしまい落ち着かない。何が起きてもおかしくはない年齢なのだ。
 以前に病院からわたしの携帯に電話がかかってきたときは、心臓がドクンと跳ねた。病室を移る連絡だったのでホッとした。我ながら小心者だと自嘲した。
 病院から自宅に帰って、遅い夕食を作っている時に、みそ汁の具の野菜を買い忘れたことに気づいた。乾燥ワカメの買い置きも切らしている。
(またアレのお世話になるか)
 古本屋を開いている建物と母屋の間に、小さな中庭がある。そこにミニ大根の袋詰めを捨てるつもりで放置していたのだが、それから茎が育って葉っぱが出てきた。それを二回ばかり、みそ汁の具として使わせてもらっている。
 東京の小金井市のアパートに住んでいたときに、農家の無人販売の小屋が畑のそばに置かれていて、余った野菜や果 物が一袋百円で販売されていた。欲しい袋の数だけ百円玉を料金箱に入れて持って帰る。散歩がてらに、どんなものが売られているのか棚を覗くのが楽しみだった。
 それと同じようなことができないだろうかと考えて、店頭の建物の中の駐車スペースに、カラーボックス2つを連結して、野菜の販売コーナーを作った。料金入れの缶 をカラーボックスに上に固定した。お金を入れて自由に持って帰ってもらうという「無人販売」だが、両替や袋は店の方で対応する。
 うん? これらのことは、以前にここのエッセイで書いたかもしれないのだが、まあいいか。読んでいたとしても、忘れている人もいるだろうし(苦笑)。このあたりは明らかに老化現象で、記憶が曖昧になっている。
 野菜を出荷してくれるのは、野菜を持って来てもらうのは週一回、水曜日の朝で、葉物野菜だと二日が限度で、余ったものはわたしがもらえることになっている。無農薬で虫食いがあって、見栄えは悪いので、売れ残ることも多いのだが、なるべく廃棄はしないようにしている。サラダやおひたし、酢味噌和えやみそ汁にと、いくらでも用途はある。無農薬なので、市販の野菜よりも甘く感じるのはひいき目だろうか。
 まあ、そんなわけでミニ大根も余ったものを頂戴したわけだが、しばらく冷蔵庫に入れていたせいか、中がシミて固くなってしまった。いくら煮込んでもゴリゴリで柔らかくならない。これでは食べられないと、庭に放置しておいたのだ。 (あれ?)
 茎や葉を包丁で切ろうとして、何やら白いものが見えた。
(花、だよな)
 細い茎の先っぽに、小さな白い蕾がわずかに綻んでいる。なんだか感動してしまった。素直な生命力に、心が洗われたような気がした。今夜のみそ汁は諦めるか。
 それから数日して、ミニ大根の花は満開になった。二度の収穫によって茎はヒョロヒョロだが、懸命に花を咲かせている。
 心配した母親の病状だが、抗生剤入りの点滴が効いたようで、少しだが食事も摂れるようになった。声も出せるようになった。しかし、意識が混濁しているのか、まともな会話ができなくなった。点滴もずっと継続している。
(来年はオリンピックが見られるよ)
 令和のあとは、そんなことを言っていたのだが、鬼に笑われたのか、今は遥かに遠い目標のような気がする。
(また明日来るから、それまでがんばれ!)
 その一日を、自分も大事にしようと切に思う。

Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋


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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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