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 この「風に吹かれて」というエッセイ、前回が118回だから、10年近く書き続けてきたことになる。休載をしたという記憶がないので、書かなかったのは、いや、書けなかったのは先月が初めてではないか、などと書き始めてみたが、不安になってバックナンバーを調べてみて、何度か休載していることがわかった。やはり、脳内は確実に老化が進んでいる。しかし、このエッセイは日記のようなもので(月記、かな)、わたしの身辺の記録になっている。
 先月の休載の原因である母親の病状であるが、心配している人もいると思うので、今までの経緯と現状を報告させてください。もともとは15年以上も前に、母親がくも膜下出血で倒れたのが始まり。執刀した医師に「こんな高齢の人の手術をするのは初めて」言われてしまった。成功の確率は五分五分だということだったが、見事成功、しかし、これが長い闘病生活のスタートになった。そう、本人にとっても、われわれ家族にとっても。今となっては、命を取り留めたことが本人にとって幸せだったのかどうか、断言する自信はない。
 病院で2年、それから自宅に戻ってから10年近く、在宅介護でどうにか過していたのだが、5年前にテンカンのような発作を起こして意識を失い、庄原赤十字病院に緊急入院。一時はかなり危険な状態で、個室に移してもらい看取る準備や心構えをしていたのだが、それから奇跡的に持ち直して、介護専門の同仁病院に転院した。「赤川さんの身体はよくわからない」、当時の若い担当医の言葉である。
 それから4年、母親は無事に令和の時代を迎えた。大正15年生まれなので、これで4つ目の元号になる。今年の4月には、93歳の誕生日を迎えることができた。次の目標は来年のオリンピック……、鬼に笑われたのかもしれない。風邪から体調を崩して、熱がなかなか下がらない。顔を合わしても、意識が混濁していて、まともな会話ができなくなった。
 便に血液が混じるようになって、血液検査で貧血が判明、同仁病院では輸血ができないため、日赤で緊急受診することに。ヘモグロビン値が5以下で通 常人の半分以下、死んでいてもおかしくない状態だった。おまけに肺炎を起こしていて、39度以上の熱がある。
 輸血して危険な状態は脱したが、出血している個所がわからなければ、また同じことの繰り返し。体力が落ちているので、肺炎が治まらなくて命を落とす可能性もある。とにかく入院して、検査を続けながら様子を見ることになった。
 で、それから持ち直したのである。輸血で体力を回復したのか熱も下がって、心配された下血も治まっている。4年前の入院時では、寝たきりの生活で胃が胸の方までせりあがってしまい、強度の食道裂肛ヘルニアになっているという診断だった。胸の横隔膜の上まで胃の一部が出てしまっている状態で、胃酸が逆流しやすく、胸やけなどの症状が出る。悪化すると食事が摂れなくなることもある。
 今回の胃カメラ検査の結果は、その食道裂肛ヘルニアが悪化して、食道を含む消化管の炎症がひどくなり、そこから出血したのではないかという診断。輸血や抗生剤の点滴で、症状は回復している、らしい。血液検査の数値は問題ないので、もう退院の準備をしましょうということになった。まだ食事をまともに摂れない状態で、高齢で体力もなく不安だったが、担当医に検査の数値を提示されて大丈夫だと言われては、素人には抵抗できない。
 で、また同仁病院に戻ったわけだが、嘔吐が治まらずに一日で日赤に再入院した。今度は腹水が溜まって、腹痛を訴えている。以前とは違う担当医に呼ばれて説明を受けたが、腸管が壊死しかかっている状態で、回復することは難しいという診断だった。
 違和感を覚えた。数日前の退院時の血液検査では、炎症反応はなかったはずだ。腸管が壊死しかかっているのであれば、炎症反応が継続していたはずではないか。結局、高齢のため開腹して調べることができないので、CT画像からの診断だということだった。まだ若いドクターで、先輩医師にも相談しているらしい。
 今週末が山場、そう聞かされて病室に戻った。やつれた母親の姿が痛々しい。もう十分に頑張ってくれたから、そろそろ楽にしてあげたいという気持がこみ上げてくる。しかし、今回も持ちこたえてくれるのではないかという期待、いや予感が心のどこかにあった。
 で、担当医の予測を覆して、週末の山場を難なく乗り切った。腹水もなくなり、腹痛も治まった。あの腸管壊死うんうんという診断は何だったのか。
 それでは、食事をしてみましょうかということになったが、しばらくは点滴だけで経口での食事はしていない。看護師さんが流動食をスプーンで口に運んでも、嫌がって拒否することが続いた。強引に食べさせれば、また嘔吐するかもしれない。しかし、食べなければいずれは衰弱死することになる。
 もうしばらく様子を見て、このまま点滴を続けるかどうかを相談させてほしい……、担当医からそんなことを言われた。高齢で食べる力がないのであれば、もう治療する術はない。点滴も延命治療になるということだ。 当然、点滴をやめると死ぬことになる。
 その言葉に反発するように、母親が食事を摂るようになった。ばらつきはあるが、かなりの量 を食べるときもある。自分で空腹を訴えることもあるようだ。今回も、またまた医師の予測を裏切ったーー。
 で、また同仁病院への転院の話が出ている。前回のことがあるので、今回はある程度、食事が摂れるようになるまで面 倒を看てほしい、そうお願いしていたのだが、今の状態であれば仕方がないと納得している。
「学校の勉強や教科書通りにはいきませんよ」
 母親の頑張りは、若いドクターにそう言っているような気がする。例外こそが医療の本質であり、そうした経験の積み重ねが医師の財産になる。
 まったく関係ない話だが、プロ野球の広島カープの調子が落ちて勝てなくなってから、母親の容体が悪化した。連敗中には、回復は難しいと引導を渡された。カープが復調して勝ち始めてから、徐々に母親の病状が好転してきた。
 母親本人に野球の結果が理解できる情況ではなく、単なるゲン担ぎにすぎないが、カープには今の調子を維持してもらいたいと切に願っている。

Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋


◆ 「風に吹かれて(119)」の感想 (掲示板)
合い言葉は「ゆうやけ」

*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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