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 寒の戻りで、真冬のような寒さが続いている。今朝は放射冷却で、山里にある街は氷点下5度を記録した。それでも日中に陽が射すと、じんわりと肌がぬ くもって、春が間近に来ていることを実感させてくれる。
 寒いことは、悪いことばかりではない、そう想うこともある。仏花が長持ちしてくれる。 母屋の二階にある仏壇の脇には、豪華な生花が咲き誇っている。葬儀会場から持ち帰って二週間になるが、蕾だった百合の花は満開で、もうしばらくは頑張ってくれそうだ。
 前回のエッセイで、父親の米寿のことを書いたが、そのあと熱を出して体調を崩した。しばらくして、嘔吐と下痢を起こして、スタッフステーションの隣にある個室に移動した。O-157などの食中毒菌の感染の疑いがあるので、用心のために隔離したと説明された。幸い、食中毒菌は検出されなかったが、発熱を繰り返して体調が回復せず、バイタルが安定してくれない。血圧が200近くに跳ね上がって降圧剤を注入したら、今度は血圧が下がりすぎて、反対に昇圧剤を投入するといった按排で、体内の炎症を示すCK値が抗生剤を投与してもなかなか下がってくれない。
 米寿のお祝いをしてもらったときは、もう2、3年は大丈夫だと安心していたら、今は見る影もなく顔が干からびて生気がない。もう駄 目かもしれないとそのとき思った。呼吸器を装着されて、しんどそうな息使いをしているのを見ていると、もう十分だよと声をかけたくなってくる。
 トドメは下血だった。消化管のどこかが炎症を起こして、破損しているのだろう。 下血で不足した血液を補うには輸血が必要だが、ここは療養型の病院なので輸血はできないと説明された。輸血するには一般 病院に再入院するしかないのだが、体力が持つかどうか。止血剤を注入して様子を見ているうちに、再び大量 の下血、病院に駆けつけたときにはすでに亡くなっていた。
 夜の11時前に携帯電話が鳴ったときには、来るべき時が来たと覚悟した。小雪の舞う寒い日だった。当直医の説明による死因は「出血性ショック」、下血により体内の血液の相当量 が流出してしまったようで、皮膚が蝋のように白くなっていた。すでに意識がない状態だったので、眠っているようなやすらかな顔をしていた。
 看護師さんの指示に従って、葬儀会社に連絡した。こんな夜半に応対してくれるのだろうかと不安に思ったが、葬儀会社は24時間営業だ。死亡時刻は、自分でも、家族の都合でも選べない。すぐに電話は通 じて、遺体を引き取りに来てもらえることになった。
 玄関の待合室で、親戚や会社、職場に電話やメールをしているうちに、父親は病院のスタッフに白装束に着替えさせてもらって、霊安室に移った。それから、葬儀会社の人が迎えに来るのを待っていたのだが、父親がさっきまで過ごしていた病室には、すでに次の患者さんが運び込まれている。呼吸器を装着しているので、かなり危険な状態らしい。人生の終焉を迎えている老人ばかりが収容されている病院なのだということをあらためて思い知った。大変な仕事をされているのだと、今さらのように実感した。
 父親の生家を継いでいる叔父に電話すると、一昨日に本家の葬儀があったばかりなのだという。唯我独尊、わたしの父は、自分勝手な言動で周囲を振り回していた人だったが、最後まで人騒がせな時期に……、という思いがよぎったが、本家の葬儀と重ならないように踏ん張ってくれたのだと考え直した。去年の秋に、父親が脳梗塞で倒れたおかげで、楽しみにしていた福島のテニス旅行をドタキャンした。これも、旅行中に倒れられたらもっと悲惨だった。少しは気を遣ってくれたのだと考えるようにしている。
 父親の死に、さすがに動揺はしたが、哀しみはなく、罪悪感を覚えるほどに、解放感があるばかりだ。重荷から解放されたという思いもあるが、これで父親も病苦や老衰の軛(くびき)から解き放たれたのだという想いが強い。父親が脳梗塞で倒れてから、会話が成立したのは一度だけだった。
「お昼ご飯食べた?」
「食べた」
 くぐもったその声だけは、今でも耳に残っている。
 米寿まで生きることができたのだ。天寿だと言ってもいいのではないか。
 ひとつだけ残念なのは、母親と面会させてあげれなかったこと。母親は、病院に見舞いに行くことを望んでいた。父親が死んでしまうと思い込んでいたようで、最後のお別 れを言いたかったらしい。お父さんはまだまだ大丈夫だよと笑いながら言い聞かせていたのだが、母親の予感が的中してしまった。自宅で介護している母親は車椅子が必要なので、もう少し暖かくなってから病院に連れて行こうと思っているうちに、父親の容体が急変した。
 病院の周囲には桜並木があって、毎年春には、花見の会が開催されている。患者の家族の参加も歓迎していると聞いていた。母親を連れて、父親と一緒に花見をさせてあげたい、そう思っていた。今年も、来年も、花見の会に参加できるものと思っていた。
 葬儀会社の車が到着したときには、すでに日付が変わっていた。病院のスタッフに見送られて、玄関を出て驚いた。外は吹雪になっていた。    


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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