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 今年もあと2週間余りになってしまった。やり残したことがたくさんあるような気がするが、とにもかくにも、どうにかこうにか、やっとこさっとこ、古本屋専業になって1年が経過することになる。
 去年の11月で薬剤師の仕事を引退して、新年から本格営業をスタート。それまでは週に4日の営業だったのが、定休日を火曜日だけに……、と考えたのだが、それだと本を仕入れに行く時間が取れない。結局、第1、第3月曜日を休みにすることで妥協した。
 古本屋というと、年中無休で、古本のようにくたびれた、いや失礼、年季の入った爺さん婆さんが帳場の前でいつも鎮座している、というイメージがあるのだが、すべてを一人で賄っているので、店を開けている間は本の整理も含めて身動きが取れない。
 本格営業開始ということで、中学時代の同級生が様子を見に来てくれた。「まあ、がんばんばりんさい」と最後に声をかけてくれた友人をわざわざ呼び止めて、「これから老後に入るから」と宣言した。どうしてそんなことを言ったのだろうかと、自分でも訝(いぶか)ったものだ。
 生活のために、お金のために働くことからリタイアして、これからは自分のやりたいことをやって生きて行こう、そんなことを意識していたんだろうと解釈した。つまり、余生、隠居というイメージが頭に中にあったのだと思う。
 1年経った今では、「いやいや違うんだよな」と呟いている自分がいる。余生や隠居にしては、忙しすぎるのである。これほど古本屋の仕事が大変だとは思わなかった、と言ってしまえば簡単だが、そうしたことは、去年までの週4日営業のときからわかっていたはずなのだ。
 引き取った本の掃除をしているだけで、あっという間に時間が経ってしまう。以前にも書いたが、過疎地で高齢者が多いので、本を買いたい人よりも、処分したい人の方が圧倒的に多いのだ。棚を置けそうなスペースを探して、本棚をどんどん増やしても、在庫や未整理の本は溜まるばかり。これではとても、余生や隠居の静かな生活とはほど遠い。
 以前は近所の温泉に入ってのんびりとした時間を過ごしたり、ぶらりとドライブに出かけたりしていたが、古本屋を開業してからは、いやその準備期間の半年以上前から、時間に余裕のない日々が続いている。
 今ではあの「老後宣言」には、違う意味があったのではないかと考えている。老後という言葉には、残された時間を強く意識している自分がいる。ここ何年かで、同級生や同年代の友人、知人の訃報が増えたような気がする。
 よく顔を見せてくれていた店の常連さんも、病院で亡くなったという風聞が最近、耳に届いた。「抗がん剤を試すために入院するんだ」と言って、病室で読むための本を何冊か購入してもらったのが最後になった。
 自分の人生には、あとどのくらいの時間が遺されているのだろうか。一昔前は、人生50年と言われていた。何が起こってもおかしくはない年齢になってしまっている。
  実際、わたしの次兄は55歳で亡くなった。アパートの郵便受けに新聞が溜まっているのを不審に思った配達員が警察に通報、部屋で死体が見つかった。事件性はなく、病死として処理された。今でも何が原因だったのか不明である。わたしは現在、58歳。年が明けて1月の誕生日がくると59歳、還暦が近づいている。
 父親は89歳で亡くなった。天命を全うしたといってもいい年齢だが、脳梗塞で倒れる何年か前から認知症の症状が出ていた。母親の自宅介護の“同志“だったのだが、老親二人の介護が重なって休職、思い返すといちばんしんどい時期だったのかもしれない。
 何歳まで自分らしく生きていられるのか、となると、寿命よりもさらに時間は少なくなってくる。こりゃ、老後のために小金を稼いでいる時間はないぞ、と体感した。未だ仕送りをしている状況での老後突入は、フライングもいいところだが、焦りのようなものがあったのだろう。「老後宣言」には、そんな覚悟もあったのではないかと、今さらながら自分の気持を類推している。
 で、本格営業から1年が経過して、今は見通しの甘さを痛感している。ミニコミ誌の「どらくろあ」の発行も自分の首を絞めている。10年以上も自宅で介護していた母親が昨年、介護病院に入り、母親には申し訳ないが、介護生活から開放されて躁状態に陥っていたのだと思う。勢いだけでフリーペーパーの創刊に走ってしまった。月刊の「どらくろあ」に労力と時間を削り取られて、古本屋の本業が疎かになってしまっている。
 で、来年からは毎週月曜、火曜日の週休2 日にすることを決意した。どら書房の宣伝媒体でもある「どらくろあ」で、そのことを告知した。前振りが長くなってしまったが、今回はそのことを説明するための言い訳なのである。週休2日を決めて、気分がずいぶん楽になった。
  古本屋の業務以外にも、やいたいこと、やらなければならないことがたくさんある。猫のために荒れ果ててしまった部屋の掃除をしたいし、本の在庫で埋もれた書斎を使えるようにしたい。汚くて使用禁止状態の1階のトイレも改装したい。そうそう、中断したままの尺八の練習も再開したい……。
 これではすぐに時間が足りなくなって、元の黙阿弥、すべてが中途半端になってしまう。ただし、一つだけ予想以上に頑張れていることがある。読書である。忙しければ忙しいほど、気が焦れば焦るほど、活字を求めてしまう。本が精神安定剤であり、活力源でもあるのだろう。
 だから、「これでいいのだ!」


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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