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 久しぶりに雪が積もった。この冬初めてのドカ雪である。全国ニュースでも報道されたようで、心配してくれた友人たちからメールが届いた。広島というと温暖な瀬戸内というイメージが強いようで、東京で暮らしていたときは故郷の庄原市のことを「広島の北海道と呼ばれていて、スキー場もあるんですよ」と説明していた。
 確認はしていないが、たぶんニュースで取り上げられたのは高野町で、わたしが暮らしている町中でも同じように雪が積もっているのだと友人たちは勘違いしている。島根県との県境にある高野町は別格で、県内では北広島町と並んで、“豪雪地帯”なのだと説明した。
 このぐらいの雪は大丈夫ですよと電話では強がったものの、雪はやっぱり厄介だ。田舎では、車を使わないと満足な買い物もできないが、そのためにはガレージの前の雪かきをしなくてはならない。冬用のスタッドレスタイヤをはいていても、雪道の運転は危険である。
 まあ、こうして天気のことを書いているのも、正直、今回は書くネタがないから。だらだらと天気のことでも書いているうちに、何か思い浮かぶかな(苦笑)。だから、もう少し雪のことを書かせてもらう。
 子供の頃はもっと雪が頻繁に降っていた記憶がある。竹スキーを履いて、雪の坂道をすべって遊んでいた。遊び疲れて喉が渇くと、雪を頬張って食べていた。かき氷のシロップがあったらいいのにと思ったものだ。その発想は立ち小便から。黄色い小便のかかった新雪は、レモン味のかき氷によく似ていた。
 しかし、大人になって車の運転をするようになって、自分の誤りに気づいた。雪は白くて清潔なものだと思い込んでいたが、とんでもない。雪をかぶったあとの車は、とにかく汚れがひどいのだ。雪の中には大量の埃や塵が入り込んでいる。そもそも空気中の埃が核になって水分が結晶化したものが雪なのだから、雪が溶けて水分が蒸発したら、埃が残るのは当たり前の事。そんなものを子供の頃はわしわしと喜んで食べていたのだから、思い出しただけで胃の具合が悪くなってくる。
 雪が積もると外に出るのも億劫なので、どら書房も閑古鳥が鳴いている。15日は日曜日ということもあって、売上はゼロだった。こんな吹雪いている日に本屋に来るような本好きは、重度の活字ジャンキーである。思い当たるのは一人だけ。それは……、わたしです(苦笑)。店としてはトホホな一日だったが、わたし自身は来客の心配もせずに存分に本が読めたので、満ち足りた一日だった。
 しかし、雪の日に限らず、今年に入ってから総じて売上は低迷している。去年の11月、12月は好調で、とくに11月は開店以来初めて10万円の壁を突破、12月も大台まであと少しと健闘。その反動がきているのだろうか。昨年末は、正月休みに読むのだと、いつもよりもたくさん買ってくれた常連さんが多かった。その本を読み終わるまで、時間がかかるのかもしれない。
 反対に、本の持ち込みが増えている。寄贈してもらえる本はありがたいが、買取となると未だに査定で悩んでしまう。新しくてきれいな本ならば、売りやすいので査定もしやすいが、いちばん悩むのが中途半端に古くてくたびれている本。売れないだろうなと思っても、あまり安い値段をつけては失礼になる。
 しばらく前に、まとまった本の持ち込みがあった。亡くなった奥さんの蔵書を整理したいのだが、捨てるのはもったいないので引き取ってもらえないだろうかという依頼。買取金額は安いですよと念を押したが、タダでもいいと思っていたので、いくらでもいいという。
 持ち込まれた本の中には、新潮社の「世界文学全集」、全45巻セットが含まれている。正直、古本屋としてはあまり歓迎はできない分野の本だ。一昔前であれば、全集モノは見栄えがいいので、応接間のインテリアとしてよく売れた。今は、応接間という言葉自体が死語になってしまっている。重いし場所を取るので、値段を下げてもまず売れない。バラ売りの方が売りやすいが、せっかく全巻が揃っているものを切り売りするのは気が引ける。
 余談だが、本に透明なビニールカバーをするのはいかがなものか。特に全集モノにこのタイプが多い。箱入りなので、ビニールの内側に湿気がこもってしまい、紙魚(しみ)やカビで本が傷むリスクが高い。紙は呼吸しているので、ビニールとは相性が悪い。古本屋としては、販売当時の姿をできうるかぎり保存した方がいいのだろうが、わたしは劣化したビニールカバーは外して捨てるようにしている。
 古本屋の買取価格の相場は、売値の10分の1だと言われている。世界文学全集以外の本も含めて、全部で1,200円の値段をつけた。でも、買い取った本に12,000円の値段をつける自信はない。売れる自信はさらにない。しかし、奥さんの遺品に失礼な値段はつけられないと思った。
 電話で値段を告げると、了解してもらって次の日に来訪された。さらに追加の古本が入った段ボール箱を3つばかり持参された。中身をあらためて、内心顔を顰めた。古くて状態の悪い文庫本が多いのだ。本棚に長年放置されて、埃でドロドロ。まったく値段のつかない教育関係の専門書も入っている。
 悩んだ末に、これには800円の値段をつけた。本当ならば、タダでも引き取りたくない類の本だ。商品にするには汚れを丁寧に拭って、変色した天地(本の上と底の部分)や小口(背表紙の反対側)をサンドペーパーで削らなければならない。手間がかかっても、売値は100円をつけられればいい方で、状態がひどければ50円、40円本のコーナー行きである。つまり、手間賃にもならない本なのだ。
 電話で値段を告げると、少しがっかりした声だったが、了解してもらった。古本屋として、いちばん辛い瞬間である。感謝してもらえるほどの金額を提示したいが、それだと商売が成り立たない。ブックオフなどの量販店の登場で、古本の相場がガクンと下がってしまった。真っ当な値段では売れなくなってしまった。安く売るためには、買取価格を下げるしかない。
 翌日、来訪されたその人に、お金を払おうとすると、ばつの悪そうな顔で、二度目に持ち込んだ本を返してほしいと頼まれた。800円という値段に納得がいかなかったのだろう。セカンドオピニオン、他の業者に査定し直してもらおうと思ったのかもしれない。今は送料着払いで、ネット査定を実施している業者もあるらしい。
 正直、ショックだった。今まで本を返してくれと言われたことは一度もない。電話で了解を得たので、いくらか本の仕分けや整理を進めていた。その手間や時間が惜しかった。つい、そのことで愚痴をこぼしてしまった。
 じゃあ、その手間賃を払うと言う。800円の査定をした本の整理の手間賃に、それ以上の金額を請求するわけにはいかない。費やした労力を考えると、800円でも割が合わない。結局、そのまま本を返すことにした。しかし、あとで気づいたのだが、最初に引き取った本も一緒にまとめていたので、買い取ったはずの本の一部も返してしまった。踏んだり蹴ったりだが、本の掃除の大変さを思うと、キャンセルしてもらって助かったと喜んでいる自分もいる。
 世界文学全集は嵩張るので店の二階に運んでいたので、手元に残った。それから何日かして、今度は「日本文学全集」を持ち込んだ人がいた。同じ新潮社で、色は違うが装丁も同じ。やはり全45巻である。ありがたいことに、今度は寄贈だった。まるで本がパートナーを呼び寄せたようで、偶然ではなく必然のような気がする。古今東西の世界と日本の言霊が、どら書房に集まったのだと思うと、なんだか痛快な気分になってくる。
 それにしても、日本文学全集の作家はどうにかこうにか名前だけは知っているが、世界文学全集の方は知らない作家がけっこう多い。海外の名作をもっと読んでおくべきだったという後悔と、この全集を死ぬまでに全部読むことができるだろうかと考えて、無力感に襲われた。
 喜んだり、憤慨したり、落ち込んだり、古本屋のオヤジ業は、とても忙しいのです。


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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