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 8月からのせわしない期間がどうにか経過して、ゆったりとした時間が過ごせている。つまり、古本屋のおやじとしての日常である。あちこちにうず高く積まれた古本の山も、店頭に放置された未整理の段ボールの箱も、徐々に片づけている……、いや、片づけようとしている。
 店主としては怠慢だが、こうした雑然とした雰囲気は古本屋らしくてじゃないかと開き直る気持もあって、作業はなかなか捗らない。来客が少ないので、しばしば漫画ルームにこもって長時間の休憩、つまり本を読んでいる。
 実際、不思議なもので、未整理の本の方に興味を抱くお客さんがけっこういるのである。常連客で、新しく入った本を物色するのならわかるが、初見の客が段ボールの中の汚れた本をごそごそやっている。それで欲しい本を持ってこられると、まだクリーニングもしていないので、「百円でいいですよ」とつい面倒なので言ってしまう。宝探しのような感覚もあるのだろう。
 幸か不幸か、持ち込みの本はどんどん増えている。ライバルがいないので独占状態、捨てるくらいならあそこに持って行ってみようかという認知度が増したからか。
 先日も店の前に車が停まって、これから処分場に捨てに行くつもりなのだけど、ここで引き取ってもらえるものがありますか? と尋ねられた。小さな段ボールひと箱分。古い楽譜がほとんどで、かなり傷んでいる。買い取りは無理ですが、いただけるのなら全部、引き取りますよ、と答えてもらっておいたが、あとで調べて悲鳴を上げた。箱の底にカメムシがうじゃうじゃ。臭いもひどい。タダほど怖いものはない……、なんか違うな(苦笑)。
 引き取る本は、家に放置されていたものをそのまま持ち込むので、状態の悪い本も多い。ネットで高く売れそうなものはクリーニングする元気も出るが、送料目当ての捨て値で売られているような本で、店頭に置いていても買い手がつかないような本は処理に困ってしまう。
 函入りの全集モノはとくに厄介だ。百科事典と一緒で、高度経済成長期に応接間のインテリアとしてよく売れたようだ。いつか読むだろう、自分が読まなくても誰かが読むだろうという気持もあったのだろうが、一度もページが開かれることもなく、注文票がそのまま挟んであったりする。その応接間も今はなくなって、物置や押入れの奥に放り込まれたままになっている。
 状態が良い本ならば、ひとくくりにして本棚の上にでも置いておくのだが、何巻か欠けていたり、保存状態が悪かったりするとお手上げだ。捨てるか……、商売としてはそれが正解なのだと思うのだが、根が本好きなのでつい同情してしまう。なかなか自分で引導を渡せない。
 先日もそんな類の本が大量に持ち込まれて、結局、無料本の棚に並んでいる。全部は入り切れなくて、段ボールに入れて「無料です」と但し書きをつけている。いくら無料本でも、カビだらけ、埃だらけの本を提供するわけにはいかないので、丹念に雑巾がけをして、湿気を取るために陰干し。けっこう労力がかかっている。まさに本の救済事業……、これも古本屋の大事な使命なのかもしれない。
 売れ行きの方は、ネット販売の方がそこそこ手堅くて、ボランティアではないほどには利益が出ている。店頭には出せないような専門書がネットで売れるので、引き取るときも少しはまともな金額を提示できるようになった。ただし、店頭販売の方は相変わらずの低空飛行のままである。
 商店街の悪口を、今までにもさんざん書いてきた。シャッター商店街で、すでに死んでいる。銀行が休みの週末や祝日は、人通りがなくてゴーストタウンになる。まあ、こんな感じでぼやいて、来店や売上が少ないのは商店街や過疎地のせいにしてきたのだが、本音は別のところにある。
 同じ広島県北にある隣の三次市は、山陽道と山陰道を横断する無料の高速道路、尾道−松江道が開通して、その中間地点に当るので、観光客を呼び込もうとインフラが整備されている。昔ながらの商店街も元気で、積極的に新規の開店を援助している。シャッターをこじ開ける努力を街ぐるみで取り組んでいるわけで、その成果をある意味、羨望の目で眺めていた。
 三次在住のお客さんとそのことで話をしたことがあるのだが、隣の芝生で、内実はいろんな問題が生じているらしい。外部からやって来て開店した人と、昔からの老舗の店との軋轢が少なからずあるようなのだ。新たに出店する人は若い人が多いだろうから、世代間の感覚のズレもあるのだろう。地元の慣例や風習になじめないということもあるかもしれない。
 その点、わが商店街は、生き残っている店の方が少ないのだから、風通しがよくてビュービュー隙間風が吹いている。何をやろうと、文句を言う人はいない。みんなで何かをやろうという体力は残っていないので、自分の店のことだけ構っていればいい。自分のペースで思い通りにやれる。
 元気な商店街は、いろんなイベントをやりたがる。来月はもう師走だが、歳末商戦であったり、クリスマスセールであったりと大忙しだ。打ち合わせだと称して、飲み会も多いのだろう。
 わたしはどうも、団体行動というやつが苦手である。会議が嫌いで、多数決で決まったことに拘束されるのはもっと嫌い。だから、商工会にも加盟していないし、地域の団体に誘われても、あれこれと理由をこしらえて断っている。
 イベントがあれば協力するが、参加する気はゼロ。みんなで何かをやるより、一人で思い通りに遊んでいる方が楽しいのだ。 そんな我儘が許されるのも、商店街に力がないおかげである。商店街のメンバーが集まるのは、葬式以外では年に一度の会計報告を兼ねた役員改選のときだけ。わたしは会計係を押しつけられて、それで義務は果たしているつもり(苦笑)。
 こうして書いていると、この商店街こそ、わたしの求めている立地条件にふさわしい場所だと思えてくる。商売オンリーではなく、自分の居場所を作りたいのであれば、過疎地のゴーストタウンのような商店街も悪くない。個性的な店が出来上がれば、その店に来るのが目的で、商店街に足を運ぶ人が増えてくる。そんな店が段々と増えてゆけば……。
 まあ、そうなれば、商店街も活性化して、組織としての活動も増えて、今のように自由気ままにやっているわけにもいかなくなるのだろうが、現状ではその可能性は限りなくゼロに近い。やっぱりここは、我が「どら書房」向きの立地なのである。

Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋


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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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