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 介護休暇を取って、2週間が経過した。あれこれとやりたいことを思い描いていたのだが、先月末にひいた風邪のダメージが残っていて、スタートからぐずぐずになってしまっている。熱はさほどでもないから、新型のインフルエンザではないだろう。いちばんの症状は胃腸障害で、下痢が止まらないのだ。
「このまま、下痢が止まらなければ、死んじまうよ」
 薬局での患者さんの訴えに、「そんな、大げさな」と内心、苦笑していたのだが、そのバチが当たったのかもしれない。夜中に腹痛を覚えて、トイレに駆け込んだ。ひどい下痢である。出しても出しても、腹痛がぶり返して、ベッドとトイレを何度も往復した。ようやく腹痛がおさまると、今度はひどい頭痛や悪寒、倦怠感で、吐き気までする。患者さんから聞いていた症状がそのまま自分の身にふりかかった。
 風邪の患者さんに投薬したあとでは、うがいや手洗いをするなど、感染には十分、気を付けているつもりだった。実際、今まで患者さんから風邪をうつされたことは一度もなかった。もう少しで介護休暇に入れると心身の緊張がゆるんだのか、疲労が蓄積されて免疫力がへたっていたのか。
  3日間、水物以外は何も口に入れられなかった。いちばん効果が強いと言われている止瀉薬(ししゃやく)を飲んでも下痢が止まらない。「このまま、下痢が止まらなければ、死んじまうよ」と訴えていた患者さんの真顔を思い出した。その患者さんも、同じ薬を飲んでいた。
 できれば、腸炎によく効くと言われている抗生剤も飲みたいところだが、抗生剤は処方箋薬なので勝手に購入して服用することはできない。処方箋薬とは、医師が必要と認めて処方箋に記載しなければ出せない薬なのである。仕方がないので、門前のクリニックで診てもらった。お客様なので、ドクターもいつになく愛想がいい。ついでに、介護休暇の挨拶をしたのだが、うちの社長から何も聞かされていなかったようで、とても驚かれてしまった。形式的な挨拶ですませるつもりが、尋ねられるままに、今までの経緯を説明する羽目になった。体調が悪いので、声に力がなく、話す内容もかなり悲惨な情況なので、いたく同情されてしまった。
 抗生剤をのんでも、下痢は止まらない。それでも、少し食欲が出て、うどんやおじやが食べられるようになった。まともな食事が摂れるようになったのは、介護休暇に入って1週間近く経ってからである。体調が快復してくると、急に痒みを感じるようになった。湯船に浸かる体力がなくて、1週間以上も風呂に入っていなかった。入りたいという欲求もなかった。 体が汚れているという感覚がない。体力が枯渇して、新陳代謝も必要最小限に落ちていたのか。頭皮に猛烈な痒みを覚えて、自分の体の汚れを意識したとき、ああ、ようやく風邪のウイルスを押さえ込んだと実感した。
 風邪は、介護家族にとっては大敵である。体力のない病人はもちろん、介護する人間も風邪にかかってはならない。世話をする体力、気力がなくなってしまうし、病人に風邪を罹患させてしまうリスクが大きい。だから、たちの悪い風邪をひいてしまったわたしは、介護者としては失格である。
 母親にうつすのが怖いので、母親の身の回りの世話は長兄にお願いした。過去も現在も、仲が良いとはいい難い兄弟だが、介護者が複数いると、こういうときには心強い。少し元気が出ると、マスクと手洗いをしっかりして、介護に復帰した。マスクは、罹患者こそがするべきもので、鼻水や唾液などが飛散するのを防ぐので感染防止効果 がある。
 しかし、父親が体調を崩してからは、わたしが買い物や炊事係なので、臥せってばかりいるわけにもいなかい。田舎の暮らしは車が必需品で、運転免許を持っているのは、実家ではわたしひとりだけなのだ。スーパーのできあいの総菜や弁当などを利用してどうにかしのいだが、こうして自分が家事をするようになって、主婦業は大変だとつくづく思う。自分の具合が悪くても、自分が食べられなくても、食事の支度をしなくてはならない。外で働いているお母さんは、本当に凄いと感嘆する。スーパーマン、いや、スーパーウーマンである。
 さて、ここからが本題である。体調を崩している間、メールや手紙の返事がまったく書けなかった。申し訳ありませんでした。 自分がメールや手紙を書いたとき、なかなか返信がないと、いろいろと心配になって、何かあったのではないかとアレコレ考え込んでしまう。ひょっとして、おれって、嫌われている? なんていじけてみたり。そういう気持は重々、わかっているのだが、生活に余裕がないと、返信を書く気力がなかなか溜まってくれない。たかだか数行の文章を書くことが、負担に感じられてしまう。だけど、メールや手紙をもらったりすると、とても嬉しいのです……
 いやはや、自分でも呆れるばかりの長い言い訳になってしまった。
 先日、NHKの「クローズアップ現代」という番組で、男性による自宅介護の問題が取り上げられた。総務省の調査によると、家族介護のために男性が離・退職するケースが急増している。介護を理由とする離・退職者は年間10万人前後だったのが、2006年には14万4800人。その半数は、40〜50歳代の働き盛りの男性だ。まさしく、わたしがそれに当てはまる。
 驚いたのは、わたしが申請している介護休暇制度の取得率は、ナント、僅か1.5%。制度の認知度が低い上に、認めていない企業もあるようだ。制度上では、社員が介護休暇を希望した場合、企業はそれを拒むことができない。しかし、あくまで制度上のことである。会社とケンカしてまで介護休暇を取って、職場に復帰するのはかなりシンドそうだ。
 給付金が支給される期間も最長で3ヶ月と短いので、いつ取るかでも迷ってしまうだろう。とくに老人介護は、よくなるケースはまず想定外で、むしろ、段々と悪化していくことを覚悟しなくてはならない。支給額も給料の40パーセントで、上限が1ヶ月分で168,720円と決まっている。経済的なことを考えれば、介護休暇を取るのは最後の手段で、できるだけ先延ばしにしたいと思うのは当然だろう。
 それにしても、3ヶ月(93日)といのはひど過ぎる。3ヶ月で、介護が終了する、あるいは、先のメドが立ってくると、本気で考えているのだろうか。1.5%という数字は、こんな欠陥だらけの制度なんか、利用してやるもんかとの抗議の気持の顕れ、とも言えそうだが……
 わたしが実際に介護休暇を取ることになって、わかったことがいくつかある。まず給付金だが、休暇期間が終了したあとで、まとめて支給される。わたしは、失業保険のように、30日毎に口座に振り込まれるのだと思っていた。ちゃんと休業していたという事業主の証明がなければ、給付金を受け取ることができない。つまり、3ヶ月の介護休暇を取れば、その間の収入は何もないということになる。給料から天引きされていた厚生年金や健康保険料、地方住民税は、自分で支払う必要がある。
 介護休暇は、家族の要介護者ひとりについて、1回の取得が認められている。今回、認知症状が出てきた父親も要介護認定を受けたので、我が家では母親と父親の二人の要介護者を抱えているということになる。つまり、ひとりについて1回ずつ、計2回の介護休暇を取ることができるわけだ。会社の厚意で、最初に母親の介護休暇を申請して、その期間が終了したあとで父親の介護休暇を申請、合計で6ヶ月の休暇が取れることになった。僥倖である。
 さて、現在のわたしの情況だが、前回のエッセイでかなり追いつめられているように書いたが、仕事をしなくてもよくなって、自分の時間がたくさん取れるようになって、心身に余裕ができるようになった。やはり、仕事と自宅介護の両立はしんどいと、今さらながらに痛感する。
 とりあえず、今は、両親が与えてくれたギフト(介護休暇)を、大切にしたいと思っている。それから先のことは……、明日には明日の、半年後には半年後の風が吹くのである。


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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