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 最近、気になっていることがある。今さらだが、ネットバンキングのパスワードや暗証番号。便利なので、ネット上でいくつかの銀行を利用しているのだが、自分の口座にアクセスする度に、パスワードや暗証番号の変更を勧められる。セキュリティのためには定期的に変更する方が安全なのだろうが、暗証できるパスワードなど、そんなにストックがあるわけではない。書き記しておけばいいのだろうが、それだと誰かに視られるリスクがあるわけで……。
 以前に、安易にパスワードを変更して、あとでそれを失念してしまい、とても面 倒なことになってしまったという苦い経験がある。だから、忘れることがないようにと、同じパスワードをあちこちで共有することになり、ますます変更がしにくくなっている。これって、かなり危険なことなの? あっ、こんなことをネット上で表明することこそ、危ないんだろうな。はい、すぐに変更しておきました(苦笑)
 ネットバンクでは、失敗したことがもうひとつある。クレジットカードや電話料金などの自動引き落としの口座をネットバンクに変更したのだが、その手続きのときに、銀行の届出印が必要になった。たぶん、これだろうという印鑑を書類に捺印して送ったのだが、見事に外れた。ネットバンクは通 帳もないので、印鑑なんか必要になることはないだろうと、口座を作る時に適当に印鑑を選んだので、まったく記憶がない。いったん変更届を出した以上、もとに戻すこともできず、当面 はクレジット会社の請求金額をコンビニで振り込む羽目になってしまった。結局、ネットバンクの届出印を変更(この手続きも面 倒)、再度、口座変更の書類を作成して郵送することになってしまった。二重、三重の手間である。

 最近、ショックを受けたのが、部屋をリフォームしたときに取り付けた窓用エアコン。山里なので、秋が深まってくるにつれて、朝晩の冷え込みが厳しくなってくる。ようやくエアコンの出番だと、勇んでスイッチを入れたのはいいが、いくら待っても部屋が暖まらない。温度設定を上げても、効果 なし。おかしいなと説明書を読むと、このエアコンは冷房専用なのだということにようやく気づいた。
 エアコンという名前がついているのだから、冷暖房機能が備わっているものだと思い込んでいた。冷房だけならクーラーではないか……、しかし、クーラーという言葉を見聞しなくなって久しいような気もする。もう死語になっている? 窓用エアコンは、冷房専用が常識? やれやれ、ガックシである。

 最近、驚いたのが、広島市と長崎市がぶち上げた、オリンピックの共同開催。広島市は、政令指定都市ではあるが、人口規模でいえば、全国で11番目の地方都市に過ぎない。長崎市は、政令指定都市の要件である人口50万人にも足りていない。ご多分にもれず、両市とも慢性的な財政赤字にあえいでいる。
 ニュース映像で流れた、藤田広島県知事の憮然とした表情が、この話題の唐突さを表している。「あれは、フライング」と切って捨てた。県に対して、事前に何も相談がなかったのだという。「県の協力がいらないというのなら、かまわないんですけどね」という辛辣なコメントが続いた。どうせ無理だろ、という皮肉がこめられている。県の協力があったとしても無理じゃない? ほとんどの県民がそう思っている。
 だだし、だ。オリンピック招致で失敗した過去の日本の都市よりも、わたしは可能性が高いと思っている。1988年の名古屋、2008年の大阪、2016年の東京と、夏季五輪招致では3連敗の日本だが、その原因はハッキリしている。日本で二度目のオリッピックを開く大義名分が不足していたからだ。いくら財力があってハード面 が優れていようが、大義名分がなければアピール度は乏しい。東京は、環境問題をテーマに招致活動を行ったが、それがなぜ東京でなければいけないのかがわからない。南米初のオリンピック開催を懸命に訴えたブラジルのリオデジャネイロにかなうはずはないのである。
 広島、長崎には、その大義名分がある。平和の祭典であるオリンピックを、世界で唯一の被爆国である日本で開催する意義は、ある。核兵器廃絶という、世界に向けて発信する大きなテーマを持っている。ただし、だ。国が全面 的にバックアップしてくれなければ、候補地になることも無理だろう。競技施設や宿泊のキャパシティが絶対的に不足している。だいたい、丘ばかりで平地が少ない長崎市のどこに競技施設を造るのか。観光名所として、歴史的な遺跡が多い街並みと、どうやって共存を図るのか。問題は山積である。
 今回の件に限らず、広島、長崎というと原爆のイメージがついてまわる。まだ長崎は、流行歌で唄われるように、ご当地ソングの名曲がたくさんあって、ロマンチックな風情もあるが、広島というとまっさきに「原爆ドーム」や「黒い雨」を連想する人が多いのではないか。
 実際に、広島県下の学校に通っていると、原爆に関しての特別な授業を受ける。いや、たぶん受けるのだろう。少なくとも、わたしが通 っていた小・中学校は、そうであった。わたしは、小学校のときと中学校のときの二度、転校を経験しているので、計4校の学校に通 ったことがあるのだが、いずれも原爆についての特別講義を行っていた。
 8月6日の原爆記念日は夏休み中だが、登校日になっていて、講堂で原爆の映画を鑑賞……、いや、鑑賞させられたというのが正直な気持である。年端も行かない子供にとっては、スクリーンに映る原爆の地獄絵は、ただただおっかなくて気味の悪いものでしかなかった。そのときのアレルギーを引き摺っているのか、今でも原爆の話題になると腰が引けている。
 そんなわたしが、原爆を身近で感じる出来事があった。帰省して、地元の調剤薬局で働き始めたのだが、原爆手帳を持っている人が多いことに驚いた。原爆手帳を持っていると、医療費が公費負担になるので、薬代がかからない。爆心地から遠く離れた山間の田舎町に、どうしてこんなに被爆者が多いのだろうと疑問に思った。
 その答えは、間接被爆だ。原爆により建物も倒壊してしまったので、多くの被爆者が地方の施設まで搬送された。山里の田舎町には、そんなに多くの病人を収容できる病院はないので、学校の校舎が代用された。医者も看護婦も不足していたので、地元の婦女子が応援に借り出された。そのときに、被爆者の体内に残っていた放射能に間接的に曝されたというので、原爆手帳が交付されたのだ。科学的、あるいは医学的な根拠がなければ、こうした配慮はなされないので、間接被爆でも相当なリスクがあるということか。それだけ、原爆の放射能の量 が凄まじかったという証明でもある。
 実は、わたしの母親も、原爆手帳の有資格者だ。近くの小学校に、被爆者の介護をするために通 っていたという。ただし、原爆手帳の申請をするためには、第3者の証言者が2名、必要なのだそうだ。その証言者を見つけることが困難だったのか、あるいは申請が面 倒だったのか(この可能性が大きい)、母親は原爆手帳を持っていない。でも、被爆者の方々のお世話をしていたときのことは鮮明に覚えていて、寝たきり状態で認知症の症状が出てきた今でも、つい最近の出来事のように話してくれる。
 当時は戦争末期で、医薬品が底をついていたという。治療らしきことができるのは、赤チンを塗るぐらいだ。ケロイドの患部が壊死して、夏場の暑さで蛆がわく。患者がいちばん訴えたのが、痒みなのだそうだ。母親にできることは、ウチワで患部を扇いで、少しでも痒みを和らげてあげることだけ。校庭では毎日、死体を焼く黒い煙が立ち昇っていた。
「カラシを持っとった人がおったよ」
 唐突に、母親が言った。
「カラシって、あの食べるカラシ?」
 母親がうなずいた。不思議に思った。その瀕死の被爆者は、カラシだけを大切に抱えて、見知らぬ 山奥まで搬送されて来たのだろうか。そのカラシに何か思い出があるのか、それとも余程のカラシ好き……。
「その人、どうしてカラシを持ってたの?」
 母親はしばらく考えていた。
「どうしてかね……、たぶん、大事だったんじゃろうねえ」
 そう言って母親は、疲れたのか目を閉じてしまった。わたしは、懸命に笑いをこらえていた。考えてみれば、その被爆者の放射能は母親の体を介して、わたしにも影響を与えている可能性もあるのだが、このカラシの話を思い出すたびに、おかしくて、おかしくて、仕方がないのである。
 


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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