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 最近、気になっていること、というよりは、腹立たしく思っていること。パチンコのCMだ。映画やアニメのキャラクターを使った新台がどんどん登場している。昔から不況に強い産業だと言われていたが、よほど儲かっているのだろう。ちょっと待てよ、と思われるようなスーパーヒーローが、次々とパチンコマネーに“陥落”してしまっている。
 たぶん、作者の元には億という単位のキャラクター使用料が支払われているのだと思う。しかし、映画やアニメのファンにしてみれば、ギャンブルであるパチンコとのコラボに、違和感、不快感を覚える人も多いのではないか。そしてとうとう、あの「あしたのジョー」までも……。
  パチンコファンの怒りを買うのを承知で書かせてもらえれば、パチンコという非合法のギャンブルをどうして警察が黙認しているのか理解できない。パチンコが景品を得るためのゲームではなく、ほとんどの人が換金を目的に通 っているということは、周知の事実である。景品の換金所を持っていないパチンコ屋が存在するのなら、教えてほしいものだ。パチンコ依存症という言葉もよく耳にする。ギャンブル以外の何物でもないのではないか。
 ノミ屋やアンダーグラウンドのカジノなどの賭博行為が厳しく規制されている中で、どうしてパチンコだけが野放しにされているのだろう。有力な政治家に多額の献金でもしている? メディアも同罪である。臆面 もなくパチンコのCMゃ広告を垂れ流していて、このギャンブル産業の肥大化に協力している。
 そもそも、今のデジタル化されたパチンコが、真っ当なギャンブルであるのかさえ怪しいものだ。わたしも、ひと昔前は、パチンコに熱中していた時期がある。まだコンピュータ化される前の時代で、自分なりに釘を読んでは、出そうな台を選んでいた。負けたときは、悔しいけれども、自分の眼力がなかったのだと納得していた。今は、すべての台がコンピュータで管理されていて、出玉 の操作は店の思うがままではないのか。それを承知で客が集まって来るのだから、イカサマとは言わないが、とても勝ち目があるとは思えない。多少の浮き沈みはあっても、トータルでみれば、集金マシーンにせっせと金を吸い取られているだけではないのか。
 パチンコで生活している輩がいるじゃないか、と反論する人もいるかもしれない。しかし、今のデジタル化されたパチンコ台で、本当の意味で勝てるパチプロが存在しているのかは、大いに疑問である。勝たせてもらっているだけじゃないの、と言いたくなる。勝てることもあるんだよと宣伝するため、要するに集客のために、飼われているだけなのではないか。 パチンコ屋の豪華な施設も、膨大な宣伝費も、すべてはお客さん(カモ)から吸い上げた金が元手になっている。
 熱くなり過ぎたようだ。正直なところ、パチンコのことなど、わたしはどうでもいいのである。自分の稼いだ金をどう遣おうと、文句を言う筋合いではない。庶民の手軽なギャンブルとして、娯楽として、存在意義を認めてもいい。だけど、「あしたのジョー」はイカンだろう。お金を出せばなんでも手にはいると奢っているのではないか。世の中には、手を出していいものと悪いものがある……、悔しいのである。哀しいのである。権力にも、財力にも、決して尻尾を振ることのなかった我らが青春時代のヒーロー、矢吹丈が、金の力で蹂躙されてしまったような不快感、喪失感を覚えている。
 なんだか、パチンコのことだけで疲れてしまった。今回の本題は、父親のことを書くつもりだったのだが、また次回に。身内のことは書きにくいので、逃げている? たぶん、そうなのだと思う。おもしろいネタはたくさんあるんだけどなあ(苦笑)。    


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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合い言葉は「ゆうやけ」

*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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