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 昔、狩人という兄弟デュオが歌った曲に、「コスモス街道」というのがあったが、さしずめ「ネムノキ街道」とでも呼ぼうか。それほど、道路脇にネムノキの木が多いのである。気づいたのは、今年の6月に入ってからだ。
 隣町の勤務地に、いつもは高速道路を使って通っているのだが、気分転換に下の道を走ることもある……、いや、正直に書こうか。交通 費として支給される高速代をケチって、セコい小遣い稼ぎをしているのだが、ふわふわとピンク色に靄った花が目に付くようになった。近づいて観察すると、糸状の繊細な花弁が化粧筆のようにたくさん伸びている。走っている車の運転席から見ると、まるで小さなポンポンのような綿菓子が、枝いっぱいに成っているかのようだった。
 総じて、かなりの大木である。 ちなみに、日立グループのテレビCM「あの木何の木〜」に出てくるハワイのモンキーポッドは樹齢が約130年で、ネムノキの仲間である(俗称がアメリカネム)。たまたまテレビで紹介されている映像を見たのだが、5月と11月の年2回、咲かせる花は、日本のネムノキの花とそっくりだった。
 ネムノキは、合歓木と書いて、羽状の複葉が夕方になると合わさって閉じてしまうことからその名前がついたと言われている。閉じた葉が眠っているようだから、ネムノキ。いくつか花言葉があるが、「夢想」というのがいちばんイメージに近いだろうか。幻想的な花で珍しい樹木という意識があるのだが、日本では東北北部まで自生しているらしい。しかし、これだけ数が多いと、意図的に植えたのではないかと思うのだが、だとすると、その目的がわからない。山里の峠道では、観賞用でもないだろう。
 ネットで調べてみると、ネムノキの葉はお香の材料として、カツラと共に全国的に使用されていたという。昔は毎朝仏壇にお香を焚き、お膳をお供えする家が多かった。その香材は、農山村ではほとんどの家が自家製のものを利用していたようだ。秋田ではネムノキをマッコウギ(抹香木)と呼び、ネムノキの葉を盆近くなると採取し、干して臼で引き抹香を作る。
 また、食用としても利用されていたようで、ネムノキの葉にはクエルシトリン、若葉にはビタミンCなどを多く含む。ゆでて食用にしたり、また牛馬の飼料にもなる。夏季に集めた樹皮を天日乾燥したものを生薬で合歓皮といい、利尿、強壮、鎮痛、駆虫の効果 があると言われている。しかし、今では香材としても、食用・生薬としても利用していないだろうから(少なくともうちの地方ではそういう話を聞いたことがない)、ほったらかしで野生化したものが徐々に数を増やしていったのだろうか。
 最初に「ネムノキ街道」などと書いたが、少し風呂敷を大きく広げ過ぎてしまった。桜並木のようなイメージを抱いた人も多いのではないか。確かに、並木のようにネムノキが連なっている観賞スポットもあるのだが、全体的には“点在している”と書いた方が正確だろう。どうせなら、もっともっとネムノキを植林して、本当のネムノキ街道を造ってしまえば相当な観光資源になる!? 手っ取り早く、あちこちに自生するネムノキを道路端に移植して集めてしまうという手もあるか。そうなると、峠のネムノキ茶屋やネムノキ饅頭などといった名物が誕生して……、地元にお金は落ちるが、風情は俗に堕するか。このままでいいのだ、という気もする。
 前回の「風に吹かれて」で、通勤時に朗読や落語のCDを聞いている、と書いたが、図書館でおもしろいものを見つけた。「日本のことば名調子」というCDで、日本人なら誰でも知っているような名ぜりふが集められている。「知らざあ言って聞かせやしょう〜」の歌舞伎「弁天娘女男白浪〜白浪五人男」の日本駄 右衛門や、落語の「寿限無(じゅげむ)」、「旅ゆけば、駿河の国に茶の香り〜」の浪曲「森の石松-金比羅代参」、大道芸「ガマの油売り」、等々。確かに、何度も耳にしたことはあるのだが、聞き流しているので大雑把なイメージは残っていても、詳細な内容は覚えていない、というか、意味不明の言葉も多い。こうしてあらためて何度も聞き直してみると、なんだ、こんなことを言っていたのかと納得できて、なんだか嬉しい気分になってくる。
 たとえば「ガマの油売り」、原料が筑波山麓に生息する「四六のガマ」なのだが、これは前足の指が四本、後ろ足の指が六本のヒキガエルのこと。子供の頃に実演を見たことがある。半紙をスパスパと切って見せた日本刀で、腕に傷をつけると一本の赤い筋が浮き上がる。そこにガマの油をちょこっとつけて布巾で拭うと、傷痕が跡形もなく消えている。実際は、良く切れるのは日本刀の切っ先ばかりで、そこで半紙を切って見せてから、あらかじめ血糊を塗っておいた真ん中の部分で腕を切る真似をする。傷などないのだから、傷痕が消えるのも当たり前だ。しかし、あの流暢な口上を聞きながら目の前で“実証”されると、ガマの油が奇蹟の万能薬だと信じてしまう。薬局の息子であるわたしが、ガマの油を買ったかどうかは……、覚えていない。
「ガマの油売り」に限らず、聞いていて楽しいのが大道芸の売り口上で、あのフーテンの寅さんの名調子で有名な啖呵売(たんかばい)も収録されている。
「結構毛だらけ猫灰だらけ。見上げたもんだよ屋根屋のふんどし。見下げて掘らせる井戸屋の後家さん。上がっちゃいけないお米の相場、下がっちゃ怖いよ柳のお化け。馬には乗ってみろ人には添ってみろってね。 物の例えにも言うだろう、物の始まりが一なら国の始まりは大和の国。泥棒の先祖が石川五右衛門なら 人殺しの第一号が熊坂長範。でかいのの手本が道鏡なら覗きの元祖は出っ歯で知られた池田の亀さん 出歯亀さん。兎を呼んでも花札にならないが、兄さん寄ってらっしゃいよ、くに八っつぁんお座敷だよと 来りゃぁ花街のカブ。憎まれっ子世に憚る、日光結構東照宮。産で死んだが三島のおせん、おせんばかりが女じゃ ないよ。四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れる御茶ノ水。粋な姐ちゃん立ち小便。驚き桃のき山椒の木、 ブリキに狸に蓄音機。弱った事には成田山。ほんに不動の金縛り。捨てる神ありゃ拾わぬ 神。月に鼈提灯じゃ 釣がねぇ、買った買った、さぁ買った。カッタコト音がするのは若い夫婦の箪笥の環だよ。」
 これは、耳だけでは理解できないところがあって、CDの付録の解説文を読んだり、ネットで調べたりしてようやく納得できた。結構は、コケッコーにかけて鶏のことで毛だらけ、猫は蚤取り用の灰で灰だらけ。下ネタもたくさん入っていて、井戸屋の後家さんや若い夫婦の件(くだり) はそのものズバリ。でかいのの手本の道鏡は、巨根で女天皇をたらしこんだらしい。三島のおせんは浄瑠璃や歌舞伎で取り上げられた女傑で、どうして三歳で死んだ女の子が出てくるのかと不思議に思っていたが、お産で死んだのなら理解できる。
 ネムノキの花の咲く峠道を、歯切れの良い啖呵売を一緒に口ずさみながら快調に車を走らせていたのだが、急に車が右に傾いて、ガタガタと砂利道を走っているかのような振動が伝わってきた。もしやと思って車を停めてタイヤを確認すると、右前輪が見事なパンクである。まだ梅雨時で、雨がしとしと降っている。「金色夜叉」の間貫一の恨み節でも吐き出したいところだが、ここは「バナナの叩き売り」で 行こうか。
「一は万物の始まり、泥棒の始まりは石川五右衛門、博打の始まりは釜坂丁半、二は憎まれっ子世にはびこる、三十三は女の大厄、産で死んだか三島のおせん、三、三、ロッポウ引くべからず、これを引くのが男の度胸、女が愛嬌で坊主がお経、ハイ、もう一本負けて四本、信州信濃の新そばよりもわたしゃ、あなたの側がいい、もう一本まけて五本だ。後藤又兵衛、槍を担いで五万石、五万石でも岡崎様は城のそばまで船が着く、城は城でも名古屋の城は金のシャチホコ雨ざらし〜」
 雨ざらしになりながらも、どうにかスペアタイヤに交換できた。雪の降る冬場はスタッドレスに履き替えるので、タイヤ交換はけっこう熟練している。パンクしたタイヤを調べると、かなりすり減ってゴムの下の繊維が露出して毛羽立っている。高速道路でパンクしなくて良かったと心底、思った。
 それにしても、タイヤの叩き売りはないもんか。四本だけでいいから、安くしてください……。


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋


◆ 「風に吹かれて (2)」の感想
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合い言葉は「ゆうやけ」

*タイトルバックに「野辺のにぎわい」の写 真を使用させていただきました。
*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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