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「すべてのエッセイは自慢話である」という一文を最近、読んだ。正確には、沢野ひとしさんのエッセイ集「へんな人間図鑑」に、『すべてのエッセイは自慢話である――という一文を読んで「なるほど」と深く納得した』、と書かれた一文を読んだのである。又聞きのようなものだが、わたしも「なるほど」といたく合点した。
 ここで書いている内容は、わたしの日々の出来事や雑感であるが、両親の介護をしているので、愚痴が多い。愚痴と自慢話は正反対のようだが、愚痴の裏側にひそんでいるのは、自分の大変さを理解してほしい、頑張っている自分をもっとアピールしたいという苦労自慢であることに気づいた、というか、そういうことなんだろうなと自認した次第である。
 もっとも、人間の行動というものはすべて、つまるところが「自分のため」でしかない。功徳を積もうが、善行を重ねようが、目的は自己の救済である。善行をする自分に陶酔して、幸せな気分に浸れる……、言わずもがなのことを書いてしまった。自慢話は優れたストレス発散法で、このエッセイで心情を吐露することで、気分転換や気持の整理にとても役立っている、と思う。不快でなければ、いましばらく付き合っていただきたい。
 パンツ戦争とわたしは揶揄している。父親は今年、87歳になった。不整脈を患い、認知症の症状も出ている。老衰で、下(しも)のトラブルが増えてきた。 パンツや股引(ももひき)に大量の便が付着することが多くなって、それをそのまま洗濯機の中に放り込むので、困ったことになる。気づかずに洗濯してしまうと、洗濯水がウンコ色(ウコン色に似ている)に染まって、他の洗濯物まで汚してしまう。結局、洗濯のやり直しをするのだが、臭いや汚れがなかなか取れなくて、二度、三度と洗い直しを何度もするはめになる。
 それで用心して、洗濯する前に、父親の下着が入っていないかどうか、確認するようになった。入っていたら、便が付いているかどうか確かめて、付いていたら石鹸で手洗いする。 これが面倒なのだ。パンツは簡単に洗えるが、股引は足の下の方まで汚れていて、容積が大きいので洗い流すのは大変な作業になる。洗濯前にそんなことをしていられないから、水を入れたバケツに浸けておいて、時間のあるときに手洗いするようになった。そのバケツを見るたびに、憂鬱になったものである。
 使い捨ての紙パンツを穿いてくれるように、父親を説得したが、駄目だった。気持はよくわかる。紙パンツと書けば体裁はいいか、オムツなのである。抵抗があるのは当たり前だ。強制はできないし、父親の性格を考えれば、強制できるとも思えない。かりに無理に穿かせたとして、人間としてのプライドを踏みにじってしまえば、認知症を悪化させてしまうかもしれない。
 しかし、そうもいかなくなった。臭うのである。 尿漏れもあるので、糞尿のにおいが体や衣服に染み付いて、ひどい臭いがする。二階のわたしの部屋まで臭ってくる。父親のサンダルにべっとりと便が付着していたり、畳の上に便の小さな塊が転がっていたり。決定的だったのが、定期で通 っている医院の先生に、診察室に入るなり「お風呂には入ってますか?」と訊かれたことだった。このままでは、周囲の人に迷惑がかかってしまうし、父親の人格が否定されてしまう。いや、正直に書こう。介護しているわたしの面 目が立たない。
 ちょうどその頃、父親が、両足の表皮のいたるところに、引っ掻き傷のようなものをこしらえて、それがかなり悪化して、一日おきに薬を塗っていた。これはこれで、面 倒で大変な作業だった。最初は、炬燵に足を突っ込んで寝ているので、肌が乾燥して痒いのだと思っていた。それが、ようやく治ってきたかと思うと、違う場所に大きな水ぶくれが出来ている。痒いのではなく、炬燵による低温火傷だったのだ。山里の冬は寒いので、どうしても電気炬燵の熱量 を上げてしまう。それに、認知症で神経の伝達が鈍っているのか、熱さにも鈍感になっているようだった。
 まるで水嚢のように、膨らんだ皮膚の中にタプタプと大量の水が溜まって垂れている。これでは治療の仕様がないので、消毒した縫い針を水疱に刺して水を抜き、その上から薬を塗ってガーゼで覆った。小さな水疱は潰さないで、その上からガーゼで覆うだけにした。しかし、次回には新たな水疱ができていて、これではきりがない。不整脈の治療で血液を固まりにくくする薬を飲んでいるので、傷も治りにくく、いつも白い股引が血だらけになっていた。
 炬燵の熱量を下げてもらうしかないのだが、そのことを父親に言っても理解できるかどうか。それに、まだまだ朝晩の冷え込みは厳しいので、炬燵がぬ るいと風邪を引く心配もある。炬燵の替わりに電気カーペットを敷こうかなどと迷っていたが、とにかく父親に言ってみることにした。ちなみに、夜寝るときに炬燵の中に足を入れて眠るのは、この地方ではごく一般 的なこと。足が暖かいと、安心して眠ることができる。
 案ずるより産むは易い――、父親は理解できたのである。炬燵の熱量を下げてくれたので、新たな水疱は減って、時間はかかったがようやく快方に向かった。やれやれ……、ではなかった。問題は紙パンツなのである。
 足に薬を塗るときに、ズボンや股引を脱いでもらう。そのときに、すでに糞尿が漏れていることが多く、その場で強制的に紙パンツに穿き替えてもらった。歳を取ると、誰でも下(しも)が緩くなって、紙パンツを穿くようになるんだよと宥めると、案外素直に穿いてくれた。これはうまくいくかもしれないと思っていると、次のときにはしっかりと布のパンツ(サルマタ)に穿き替えている。
 うーん、ここは心を鬼にして、布のパンツをすべて処分した。思惑通り、紙パンツは糞尿をある程度封印してくれるので、臭いも次第に和らいだ。股引が汚れることも少なくなった。その内、低温火傷もどうにか瘡蓋が癒えて、薬を塗ることもなくなった。同時に、パンツをチェックすることもなくなった。父親が、自分で紙パンツを穿き替えてくれているものと思っていた。
 しかし、だ。男子のプライドがかかっているのだから、パンツ戦争は簡単には終結しない。父親は、タンスの中から夏用のトランクスタイプのパンツを探し出して、穿くようになったのである。また振り出しに戻ってしまった。今度はパンツをチェックする機会がないので、紙パンツを強要することはできない。そして、父親も考えたのだろう。汚れたパンツや股引を、自分で手洗いするようになった。それを洗濯機の中に入れている。これだと、一緒に洗っても大丈夫。こんなに嫌がっているのなら仕方がないと、白旗を上げて休戦にした。
 で、現状はというと、父親は紙パンツを穿いている。あれから肺に水が溜まっていることが発覚して、心不全と診断され、総合病院で治療を受けている。利尿剤が追加され、トイレの回数が増えて、尿の漏れも多くなったのだろう。それに、便秘が続いて、薬を飲むと下痢をするという繰り返しで、パンツの汚れもひどく、自分で洗う体力もなくなった。体がまたひどく臭うようになった。再びパンツを隠すという荒療治で、どうにか紙パンツを穿いてくれている。
 そして、病院に行くと告げた日の朝。父親が下半身は紙パンツだけの姿で、タンスの引き出しの中をゴソゴソやっている。パンツを探しているのだとすぐにわかった。病院でズボンを脱ぐことはないのだが、紙パンツを穿いている姿を誰かに見られるのが嫌なのだろう。そのまま黙視することができずに、父親の前に隠していたパンツを差し出していた。ああ、これこれ、とばかりに父親はホッとした顔をして、パンツを持って自室に引き上げた。
 その後、どこから見つけだしてきたのかわからないのだが、タンスの引き出しにはパンツが2枚、入っている。わたしはそれを、処分できないでいる。パンツ戦争は、まだ続いている。    


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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