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 今年も、正月が来てしまった。正確には、大晦日から年明けの3日までの4日間。世間では、里帰りや行楽などのバカンスの期間なのだろうが、我が家では試練の4日間――、在宅で介護している母親のディサービスや訪問ヘルパーさんのサービスが休みになってしまうからである。介護施設で働いている人やヘルパーさんたちも、大晦日や正月ぐらいは休みたいだろう、頭ではそう理解できていても、気持はブルーである。料理のレパートリーが乏しいなか、入れ歯を使うことができなくなった母親の食事のメニューを考えるだけで、頭が痛い。この4日間をどうやって乗り切るか……。
 そして、一番の試練が雑煮である。ここ何年かは連敗続きで、高価な食材を駄 目にして、年明け早々落ち込んだ。それは、この地方独特の雑煮の味付けにある。ブリやハマグリを一緒に煮込んだダシ汁は、複雑な風味をしている。これが、家庭によって微妙に違うのだ。我が家の雑煮は当然、母親の味で、作り方を訊こうにも、認知症状の出ている老母が言葉で説明するのは難しい。自分であれこれ工夫して、いろいろなものを加えながら、舌で覚え込んだ味とも言える。
 他の家庭の作り方を参考にして、それなりの味に近づけようとするのだが、調味料を加えれば加えるほど、味がどんどん悪くなる。コクが足りないと思って、ブリの切り身を追加したりすると、今度は生臭くなってしまう。味見のし過ぎで舌が麻痺してしまい、「もう勘弁してください」とギブアップ、ひどい味の雑煮を出すことになってしまう。家族の食べている様子を見なくても、落胆しているのはよくわかる。何より、自分がいちばん落ち込んでいる。かくして、正月三が日を賄う予定だった雑煮の大量 のおつゆを、一回食べただけで流しに捨てることになる。
 今年は、脳梗塞の後遺症で父親が介護施設に入院しているので、気分が楽だった。母親は、入れ歯が使えず、餅は喉に詰まらす危険が大きいので禁止されている。雑煮を食べるのはわたしと長兄の二人。失敗してもわたしは自業自得だし、長兄に対してはわたしが面 倒な調理を担っているというアドバンテージがある。
 高価な食材を買うのもやめにした。ブリはパック入りの切り身、ハマグリも中国産の安物だ。もっとも、今は日本産のハマグリを見つける方が難しいかもしれない。人参も赤い京人参ではなくて、いつもの西洋人参を代用した。鍋に水を張り、ダシ昆布とハマグリを入れて沸騰させる。このとき、秘密兵器を投入した。スルメイカである。雑煮のダシにスルメイカを使うという情報を、どこかで耳にした。母親は使っていなかったはずだ。だから、我が家の雑煮の味にはならない可能性が大なのだが、それでも仕方がないと諦めていた。食べ物として成立していれば御の字ではないか。スルメイカを一匹、大雑把に裂いて投入した。
 昆布のダシが出たところで、昆布を引き上げ、ブリの切り身を入れてさらに煮込んだ。鰹風味のダシの素やイリコ風味のダシの素を軽く振りかけて、最後に醤油で味を調えた。オタマでおつゆをすくって、おそるおそる味見。「うん?」、意外だった。けっこうイケテルのである。我が家の雑煮独特のコクが出ているではないか。スルメが効いた? 母親も、案外、隠し味でスルメを入れていたのかもしれない。
 醤油をもう少し加えて、味を濃くした。そういうのも、この地方では餅を焼くのではなく、「煮る」のである。たぶん、西日本ではこの“煮る”雑煮が多いのではないか。ぐつぐつとお湯を沸騰した鍋に、丸餅を投げ入れる。餅が表面 にぷかりと浮かんできたら食べ頃で、フニャフニャした煮餅をドンブリにすくい取って、その上にハマグリやブリ、人参、蒲鉾、春菊などをトッピング、最後に熱々のおつゆを注いで完成である。煮餅はたっぷりと水気を含んでいるので、おつゆが薄くなってしまうのだ。
 せっかちな父親がいないので、肩の力を抜いて、時間を気にしないで調理したのが奏功したようだ。いつもであれば、腹をすかした父親が炬燵でイライラしながら待っているので、それがプレッシャーになって、ますます味付けが混迷してしまう。何事も焦りは禁物ということか。落ち着いて対処すれば、なんとかなる?(苦笑)
 雑煮がせっかく上手にできたのに、父親に食べさせてあげられないのは残念である。父親は健啖家で、餅が好物だった。80歳を越えても、雑煮で7つや8つの餅はぺろりと食べていた。一緒に暮らしていたときは、頑迷で、自分勝手で、独りよがりで、腹立たしいことばかりだったのだが、そうした記憶も棘が取れて、次第に想い出になろうとしている。ときの移ろいはありがたいし、また怖くもある。そして、また新しい年が始まった――。


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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