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 冬になった。中国山地の中にあるわがふるさとは、ときには雪国となる。スキー場もいくつかある。広島というと、瀬戸内の温暖な気候をイメージする人が多く、雪をことを話題にすると、大概が意外な顔をされる。広島の北海道、そんな呼び方をする人がいる。
 平成17年に、高野町が合併して、ニュースで雪のことが取り上げられることが多くなった。まだ道路が整備されていない頃には、雪で交通 機関がストップして、ヘリで生活物資を輸送したこともあるという豪雪地帯である。広島のチベット、高野町のことをそう呼ぶ人もいる。
 雪が積もった朝は憂鬱だ。いろんなケースを想定して、早めに出勤しなければならない。高速道路もノロノロ運転で、除雪車が前を走っていたりしたら大変だ。融雪剤の塩化物をまき散らしながらの“徐行運転”なので、イライラしたあげくに、塩まみれになった車の錆を心配しなければならない。最悪なのが、高速道路が通 行止めになったときで、勤務を休むわけにはいかないので、遠回りして下の道を使うことになる。地球には申し訳ないが、冬だけは温暖化してほしいと心の中で願ってしまう。
 冬の寒さを最初に体感させられたのがトイレの便座、カバーをしていないので直接、肌に触れる。実はこの便座、温熱機能がついているのだが、いざ用を足すときにスイッチを入れるので、いつも間に合わない。ようやく暖まってきたときには、もう用事はすんでいる。そして、大概が朝のことなので、出勤前のドタバタでよくスイッチを切り忘れる。仕事を終えて帰宅してから、小用のときにトイレに立って気づいたときに、電気がもったいないなとスイッチを切ることになる。
 そして、朝になって、また同じことの繰り返し。結局、スイッチを入れている時間はかなり長いのだが、その恩恵をまったく受けていないというマヌケなことをやらかしている。いっそのこと、スイッチを入れっぱなしにしておけばいいと思うのだが……、便座ごときでおのれの小市民さを実感させられてしまうとは情けない話だ。

 年賀状の心配をしなければならない時期になった。年賀状友達と書けば、意味するところはわかっていただけるだろうか。年賀状だけでかろうじてつながっている交友関係である。ある一時期、すべての人間関係がひどく煩わしく感じられて、年賀状もできるだけ減らそうとしたことがあるのだが、今ではそのか細い縁(えにし)の糸がいとおしいものに思えて、できるだけ大切にするようにしている。
「高血圧と診断されて、薬を飲むようになってしまいました」
 ときには、そんな近況が書かれていたりする。すでに、電話をしたりメールして様子を確認するような親しい仲ではなくなっている。
「高血圧の具合はどうですか?」
 前年の賀状を見ながら新年の賀状を書くので、一年遅れでこんな質問を書いてみる。
「コレステロールも高くて、完全にメタボです」
 などという返事がくるのはまた一年後だ。一年ごとの気の長い会話で、そういう淡いふれあいが、なんだかとてもいとおしいのだ。5年ほど前に家庭の事情で帰省して、多くの友人たちから遠く離れてしまったということも、影響しているのだと思う。
 そうした年賀状友達のなかでも、とりわけ賀状がくるのを待ち望んでいる人がいる。そのSさんとは、わたしが東京の郊外に住んでいるときに、地元の将棋クラブで知り合った。五十代の半ばの人で、初対面 の印象は強烈だった。両腕が義手なのだ。手の代わりに、金属のフックのようなものが両袖から出ている。それでどうやって将棋を指すのだろうかと眺めていると、その義手は装着部分で体の神経と連動しているのか、先端の二股になったフックが自分の意志で自在に開閉できるようになっている。そのフックで駒をつかんで動かすのだ。まったく問題はなかった。
  最初は義手のことを意識していたが、すぐになれてしまった。いや、気にしている余裕などなかったのだ。Sさんの将棋は攻めの強い力戦派で、序盤から慎重に駒組みしないと攻めつぶされてしまう。はじめの頃は、わたしの方がかなり分が悪かったように記憶している。それがどうにか五分に持ち込んで、互いに好敵手として勝敗を競った。
 Sさんの義手が自在に操るのは将棋の駒だけではなかった。タバコをうまそうにくゆらせるし、コーヒーの紙コップも器用に扱った。トイレも大丈夫。ただし、シャツのポケットからタバコの箱を出してあげたり、自販機でコーヒーを買ってくる役目を、わたしがよく代行した。Sさんも、メンバーの中では年齢の若いわたしには、頼み事がしやすいようだった。
 わたしが将棋を題材にした小説でデビューして、生活が小説を中心に回るようになり、気持の余裕を失って、何年か将棋から離れていたことがある。才乏しく、出版界からオチコボレて、人恋しさで再び将棋クラブの例会に顔を出すようになったときには、Sさんの姿は消えていた。Sさんは隣町から通 っていたのだが、今ではその地元の将棋サークルに顔を出しているという話を伝聞した。
 Sさんと再会したのは、わたしが参加している将棋クラブの会長を長らく務めていた方の葬儀の場だった。顔を合わせたとき、それがSさんだとは気づかなかった。げっそりと頬がこけて、髪の毛も白くなってしまった。聞けば、癌が再発してしまい、入院しているという。わたしは言葉を失って、ただただSさんの話を聞いていた。お清めの席でアルコールが入っていたのと気が動転していたせいで、病気の詳細はよく覚えていないのだが、内蔵の癌で深刻な病状だということは心に重く残った。
 その年の暮れに、Sさん宛の年賀状を書くときに、ひょっとしたらという思いが脳裏をよぎった。Sさんとは、顔を合わせなくなっても年賀状のやりとりだけはずっと続いていた。明くる年の元旦、Sさんから年賀状をもらったときはホッとしたものだ。
 それからも、Sさんの年賀状は毎年、届いた。わたしが帰省して住所が変わっても、律儀に年賀状を送ってくれた。プリンタで印字された文字で、文面 もしごく平凡な内容なのだが、生きて新年を迎えられたという喜びが込められているように感じられた。わたしは、劣勢の局面 を迎えても悠然とタバコをくゆらせているSさんの姿を思い浮かべる。最後まで勝負を諦めない、したたかな将棋を指していた。
 しかし、今年の秋に、Sさんの奥さんから喪中のハガキが届いた。7月に永眠されたそうだ。わたしは、正座して、静かに頭を下げた。
 ご指導、ありがとうございました。
 今年は、喪中のハガキが多い……
 みなさん、やすらかに。
 合掌


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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