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 正直、この小説にはかなりの衝撃を受けた。歌野晶午の「生存者、一名」、祥伝社の単行本「そして名探偵は生まれた」の中に収録されている短編だが、その鮮やかなエンディングにしばし茫然。
 舞台設定を簡単に説明しておこうか。鹿児島の遙か沖の孤島に6人の男女が降り立つのだが、彼らは都内で爆弾テロを行なったカルト教団の信者4人と2人の幹部。翌日、幹部の一人が船とともに姿を消し、残りの5人が取り残される。そして、殺人事件が発生する……。
 絶海の無人島の中で、一人、また一人と殺されて行くのだから、生き残った者の中から犯人が特定できそうなものだが、二人だけになってもまだ謎が残っている。結局、最後はタイトル通 りに一人だけ生き残るのだが、これがまたとんでもないどんでん返しが用意されていて……、ネタバレになりそうなので、これぐらいにしておこうか。ちなみに、表題作の「そして名探偵が生まれた」やもう一つの“館モノ”の短編は、さして魅力を覚えなかった。
 歌野晶午には「葉桜の季節に君を想うこと」というベストセラー長編がある。小説、いや文字の特性を最大限に活かしたトリッキーな作品で、ズルイヨ、という読後感は残るのだが、こういうことでもしないと目の肥えた読者は騙せないのだろうなという肯定的な思いの方が勝っている。他の長編も何編か読んでみたが、敬意を込めて“時空の魔術師”と呼ばせていただこう。魔術師とペテン師との差は紙一重?(苦笑)。
 わたしの働いている調剤薬局では、昨年の12月頃から急激に患者さんが増えて、アタフタした状態が続いていたのだが、ようやく春めいた日が多くなってやれやれである。高齢者の多い山間の過疎地なので、冬の寒さが厳しいと体調を崩す人が多くなる。風邪も流行する。インフルエンザの患者も散発的に来局するのだが、隣町のような学級閉鎖になるほどの大流行ではなかったので助かった。さすがのインフルエンザウイルスも、雪深い峠道に侵入を阻まれたか。
 わたしのような雇われ薬剤師は、患者さんが増えても給料が上がるわけではないので、あまりに窓口が混雑するのはしんどいし、投薬ミスのリスクが増すのでノーサンキューだが、営業の視点からの本音は、もう少し流行してくれないかな、だろう。医薬品の卸の担当者が初冬に、「○○でインフルエンザの患者が出たようですよ」と報告するときの表情は、「桜が咲き始めましたね」と告げるような明るい顔である。 インフルエンザは、その特効薬であるタミフルやリレンザだけではなく、抗生剤や解熱剤、咳止めなどが一緒に処方されることが多く、全体的に薬の消費が多くなる。つまり、売上げの底上げが期待できるのである。
 医療業界ほど、本音と建前が相反する世界はないかもしれない。たとえれば、これからが本番の花粉症である。症状を和らげるための様々な治療薬や関連グッズが大量 に出回っている。しかし、そうした対症療法ではなくて、花粉症を根治する治療薬、あるいは治療方法が確立できたら、大変なことになる。1500億円以上と言われる花粉症関連の巨大市場が消滅して、医薬品産業は深刻なダメージを受けることになる。患者数の減少は、病医院やわれわれ薬局も売上げ減となって直撃する。
 こんなことを書けば、花粉症の根治療法が見つかっているのに、わざと対症療法しか提供していないのではないかと勘ぐられそうだが、原因が自分の免疫に関することなので、それを解決することはとても難しい。以前に勤務していた薬局で「花粉症の特効薬があるらしい」という風聞が、患者さんの間で囁かれていた。某医院で注射を一回打ってもらうだけで、花粉症の症状がピタリと収まる。
 この噂は、ある意味では本当だった。その注射の成分は持続性のステロイドで、花粉症の症状を強烈に抑制することができる。花粉症とは、杉花粉などに過剰に反応した免疫が体に炎症を起こしている状態なので、抗免疫、抗炎症作用の強いステロイドは、確かに効果 は大きい。しかし……、効果が高い分、さまざまな副作用が問題になる。合成ホルモンなので、体内の微妙なホルモンバランスを崩すリスクが大きい。だから、ステロイド薬は内服でも外用でも、短期間の使用が原則である。
 持続性ステロイドの筋肉注射をして、そうした副作用が出なかったら幸運だが、もし副作用が出てしまったら、内服薬と違って途中で服用を止めるということができないので、注入したステロイドが体外に排泄されるまで待つしかない。その間の体のダメージは深刻である。保険が利かないので注射の費用はすべて自費……、こうなると一般 的な治療方法とは言い難い。ただし、そのリクスをドクターがきちんと説明して、患者さんがその治療法を理解&納得した上で、ステロイドの注射を受けるのであれば、外野がぶつくさ文句をタレる資格はない。
 話がわき道にそれてしまった。仕事が忙しかったときに、ひどい失敗をした。といっても、調剤ミスではないから安心して欲しい。一包化の予製(予め分包調剤しておく処方)が溜まってしまい、珍しく夜遅くまで残業した帰り道だった。高速道路を走っていて、ふと気が付くと馴染みのない橋の名前が目に入った。以前のエッセイに書いたが、高速道路にかかっている陸橋は、すべて名前のプレートが掲示されている。
 しまった! と思っても、もう遅い。考え事をしていたのか、ぼんやりしていて、いつもの出口をスルーしてしまった。 一般道と違って、高速道路はUターンして引き返すことができない。これは、惨めである。自分の家が遠ざかるのを承知で、次のインターチェンジまで走り続けなくてはならない。
 実は、出口をスルーした失敗はこれで二度目。前回の失敗は、出勤のときだった。今の薬局に初めて行ったときで、緊張してあれとこれ考え事をしていたのだと思う。時間的に、目的地のインターチェンジに着いてもいい時刻なのだが、それらしい標識に出会わない。嫌な予感がした。そして、次のインターを予告する看板を見たとき青ざめた。
 平均時速、125キロは出ていたのではないか。軽の車体がぶるぶる震えていた。インターを出たあとであわててUターンしたのだが、そのときはまだETC装置をつけていなかったので、料金所のおじさんの視線が恥ずかしかった。相当な余裕をもって出勤したはずが、結局、10分余りの遅刻。その日は仕事の引継で、まだ前任者が通 常通りに出勤していたおかげで、患者さんに迷惑をかけなかったことが救いである。
 遅刻の理由を言えずに、そのときは道に迷ったと言い訳をした。しかし、こういうオモロイことは黙っていられない性格で、酒席でバレて大いに失笑(本当は大爆笑)をかってしまうのだが、同じような失敗をしたお仲間もいることを知った。その人は出口ではなく入口で失敗したそうで、目的地とは反対方向の進路に入ってしまったのだという。具体的に説明すると、中国自動車道路のインターチェンジで、本当は大阪方面 に行かなくてはならないのに、逆の広島方面の進入路に乗り入れてしまったということ。
 ときどき、高速道路を逆走したというニュースを耳にするが、その気持がちょっとだけわかるような気がする? いっそのこと、高速道路をすべて無料化して、ところどころにUターンできるようなシステムを作ってくれればいいのだが、これは自分勝手過ぎるか。高速道路の出口を間違うような“うっかり八兵衛”は、そんなに多くはないだろう。
 話を戻そうか。帰路の高速道路で、出口をスルーしたときには、残業の疲労もあってガックシ落ち込んだ。苛立った気持を鎮めるために、サービスエリアに立ち寄ることにした。トイレをすましたあとで、休憩所でお茶を飲んでいるとき、無性におかしさがこみ上げてきた。こんな時間に、こんなところでお茶を飲んでいる自分のマヌケさが 、まるで人ごとのようにおかしくて、大笑いしてしまった。
 なんだかすっかり愉快になってしまい、ドライブ気分で、CDのジャジーなリズムにスゥイングしながら、夜の高速道路を疾走した。工事区間を照らしている赤い点滅灯が、まるでイルミネーションのように輝いている。たぶん、プールの底に足先が着いたという感触を覚えたのだろう。こんなツイてない日もあるさ、という開き直りにも似た諦観が、プールの底を蹴り上げたような高揚感を生んだ……
 そう、人生、悪いことばかりじゃないさ、と自分にいい聞かせるように呟いている。


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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