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 先月にも書いたが、介護型病院に入院している母親が今月の17日で無事、91歳の誕生日を迎えた。本人は80歳だと言っているが、これは鯖を読んでいるのではなく、頭の中で年齢の計算がうまく出来ていないだけで、「金さん、銀さんにまた近づいてしまった」と、実年齢はしっかり実感しているようだ。
 気温の変化の激しい「木の芽時」で、ここしばらく夕方になると熱が出て心配していたが、誕生日を過ぎると、「今年もどうにか、冬を乗り越えることができたようだな」とホッと胸をなで下ろす。山里の冬は厳しい。頑張ってくれた母親と、手厚い看護をしていただいている病院のスタッフに感謝である。
 息子の方も、つまりわたしであるが、来年の1月の誕生日に還暦を迎える。干支(十干十二支)が一巡して誕生年の干支に還る特別な年齢であるが、正直、実感はない。「60歳、何がめでたい」という本でも書けば、売れるだろうか。 内面は未成熟なままなのだが、肉体の方は確実に老いている。そういえば、鏡を見る機会がめっきり少なくなった。写真を撮られるのに、抵抗を覚えるようになった。デジカメは馬鹿正直である。
 先日、中学時代の同級生がぶらりと遊びに来た。白髪頭のわたしを見て、開口一番、「歳とったなー」。お互い様だと心の中で悪態をついたが、その旧友は市内の病院で胃がんの切除手術をして入院中なのだという。 それからしばらくして、別の中学時代の同級生の訃報が耳に入った。陸上部で頑健なイメージしかない男だったが、咽頭がんを患っていたらしい。木の芽時は鬼門である。
 そして、還暦という年齢は、肉体的にも、精神的にも、大きな山なのかもしれない。それを超えると、おだやかな坂が見えてくるのだろうか。NHKのBSで、「こころ旅」という番組をやっている。火野正平という俳優が、自転車で全国を巡るという企画。火野正平が若かりし頃、奔放な女性遍歴で週刊誌を騒がせていたが、その「火宅の人」がNHKの朝の番組に出ていることに、時代の流れを感じる。
 火野正平が大嫌いなのが、高い橋と上り坂。相当な高所恐怖症なので、橋の端を自転車で走ることができない。上り坂は、60代後半の肉体にはきついだろう。しかし、下り坂の時はスイスイで、役者らしく名台詞がある。「人生、下り坂、最高!」。還暦を過ぎれば、そんな気持になれるだろうか。
 最近、頭を悩ませているのが、足のこむら返り。俗にいう「ツる」というやつである。漢字で書くと「攣る」。足をのばしたときに、足の親指から土踏まずにかけての筋肉が硬直する。それがどんどん這い上がって、こむら、つまりふくらはぎの筋肉が痙攣する。これが、七転八倒するほど痛いのだ。足が攣っている間は、ただただ痛みに耐えているだけで、痙攣が収まるのを待つしかない。ひどいときは、全身に冷汗をかいて、半日ぐらい痛みが残ってしまう。
 調剤薬局に勤務しているときに、漢方薬の芍薬甘草湯がたくさん処方されるのが不思議だったが、今は納得。芍薬甘草湯はこむら返りの特効薬で、それだけ老人に多い症例なのだ。予防のために服用している人が多いのだが、「痙攣が起きてから飲んでも効果がありますよ」と患者さんには説明していたけど、いったん痙攣が起きてしまえば薬を飲んでいる余裕なんてあるわけがない。失礼なことを言っていたと反省している。
 芍薬甘草湯のお世話になる年齢になってしまったのかもしれないが、もう少し自力で頑張ってみようと思う。こむら返りが起こりやすい状況がなんとなくわかってきたからだ。寝不足などの体調不良のときや、運動不足、あるいは運動過多のときに頻発する。体調管理に気を付ければ、そこそこ予防できるような気がする。
 もうひとつ、老化を実感するのが歯のトラブルだ。後悔したときにも親は頑張って生きているが、歯の方は右下の奥歯2本が亡くなって、いや無くなって、部分入れ歯になっている。歯科医には常時装着しておくようにと言われているが、違和感があってイライラして落ち着かない。食事のときだけでも装着して食べるようにしているのだが、ときどき入れ忘れることがある。
 じゃあ、なくてもいいのかというと、やっぱり困るのである。左側の歯ばかり使っていると顎の筋力がアンバランスになって、顔が歪んでしまうのではないかと不安を覚える。それに、左の歯にトラブルがあったときに、食べ物を噛むことができなくなってしまう。
 その部分入れ歯、いつもは軟膏入れの小さなケースに収納しているのだが、何度か紛失の危機にあっている。食べ終わった後にすぐに水道で洗ってケースにしまえばいいのだが、あとで洗おうとティッシュでくるんでポケットに入れておく。そのことを忘れて、「うん? なんでポケットにティッシュが入ってるんだ?」と無造作に捨ててしまう。懲りずに何度も同じ失敗を繰り返している。次の食事のときに気づくのだが、くず入れの整理は一週間に一度やればいい方なので、無事に救出できている。
 この前やった失敗はひどかった。マグカップを使った後に、水でかるくゆすいで、水を張っておくのが習慣のようになっている。次に使うときには、こびりついた汚れも水でふやけて、洗剤を使わなくても指先で洗い流せる、まあ、そんな思惑がある。で、部分入れ歯を洗うのが面倒なときは、そのマグカップの水の中にチャポンと入れておくこともある。で、朝起きた時に、牛乳でも飲もうとそのマグカップを持って、勢いよく流しに水を捨てた。カランカランという音で、目ぼけた意識がようやく覚醒した。
 説明すると長くなるのだが、その流しは昔の理科室にあったような瀬戸物の小さなシンクで、排水口の穴あきの蓋も陶製になっている。いや、なっていた。その蓋が割れてしまったので、百円ショップのプラスチック製のもので代用していた。水の勢いでその蓋がひっくり返って、部分入れ歯は排水口の奥に消えてしまった。
 結果的に、部分入れ歯は無事、生還した。排水管のパイプがS字状になっているからだ。S字状になっている意図は、途中で水を溜めることで害虫の侵入を防ぐという用途もあるのだろうが、貴重品が流されないようにするという目的もある、たぶん。
 塩化ビニール製の排水管を取り外すことになってしまったが、実はこれが二度目。以前に力任せに排水管を取り外そうとして破損したものを、パテやビニールテープをホームセンターで買ってきて補修している。そのときは何を流してしまったのか、まったく記憶にない。ひょっとして、部分入れ歯……。
 これは老化などではなく、生来のオッチョコチョイの性格のせいなのだと思い至って、少し安心している自分がいる。ちなみに歯のトラブルであるが、以前に詰め物をしたものが破損して治療することはあっても、新たに虫歯になることはなくなった。
 実家が薬局をしているときに売れ残っていた電動歯ブラシを使ってみたら、便利なので手放せなくなってしまった。先端に取り付けられた回転式のブラシが歯垢や食事の汚れをきれいに落としてくれる。もっと早く電動歯ブラシを使っていたら、部分入れ歯に悩まされることもなかったのに。後悔、先に立たず。
 いやいや、 電動歯ブラシに 出会えていなければ、もっと歯が無くなっていたかもしれない。モノは考えようである。


Copyright(c):Masahiro Akagawa 著作:赤川 仁洋

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*亜木冬彦&赤川仁洋の作品集が文華別館に収録されています。


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